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堀江氏逮捕の報に触れて [考え事]

 堀江貴文ライブドア社長が、証券取引法違反容疑で逮捕されました。

 以前、「堀江貴文氏に触れて思う」 と言うタイトルで、現在の社会、経済制度を

憂慮する記事を書いています。是非上記タイトルをクリックして、お読み下さい。

 今回の逮捕劇。それについて、ここで多くを語るつもりはありません。また、それ

だけの材料も持ち合わせていません。

 ただ一つ言いたい事。それは……。

 

 「日本の良心もまだ活きている」 


幸せですか はい [考え事]

「今幸せですか」 と問われたなら、「ハイ、幸せです」 と素直に答えられる。

 熊父がいてランディがいて、コムギかやって来た。

 経済的には楽じゃない。常に仕事があるわけではなく、生活するだけで精一杯。

 それでも、住むところはある。贅沢をしなければ、普通に食べていける。

 甘ったれのコムギが、ひっきりなしに膝の上にやってくるのに癒される。

 優しいランディが、まるで親子のようにコムギに接しているのを見て癒される。

 穏やかで、心安らかな日々。他人と競う事も、争う事もない。ずっと望んでい

た生活。

 だから「ハイ、幸せです」 と、胸を張って答えられるのです。

 

追記
 相変わらすソネット・ブログ、重いですね。その上、サーバーエラー頻出。なかなか皆さんのブログへ伺えません。本日は断念しました。ご了承下さい。


 


音楽は偉大だ [考え事]

「どんなに長く感動的な小説も、たった5分の音楽には敵わない」

 ここ数年来、ずっと感じてきた事ですが、がぁこさんのブログはこちらの記事へコメントして、改めて思いました。

 元々、音楽好きの読書好き。
 それが嵩じて、10代の頃にはドラムを通して、自ら音楽に携わるようになりました。
 更には30歳を過ぎてから、まがりなりにも小説なるものを書き始めました。
 自ら両方手を染めてみて感じた事。もちろん両者は全く別物であり、それぞれに違った良さがあります。私の個人的な感情なので、異論がある事も否定しません。それでもこと感動に関しては、文章は音符に敵わない。そう思ってしまうんですね。

 映画やテレビドラマでも、主題歌や挿入歌、更にはBGMがストーリーを盛り立てます。それらがなく、セリフや現実音だけだったら、味気ないものになってしまうでしょう。

 私が小説を書く場合も、好きな音楽を流して気分を盛り上げながら、描いています。
 どんなに感動的なシーンが描けたと思っても、その時流している曲には到底敵わない。

 事ほど左様に、音楽は偉大な芸術である。そう思うのです。
 
 


何事も勉強です [考え事]

 何事って、なんでしょう。
 今回は電話会社を選べるサービス、マイライン、マイラインプラスについて勉強になりました。

 8月9日付けで、マイラインプラスで登録する電話会社を、変更したのです。ところが。
 その後9月16日から11月15日分として、変更前の会社から420円(税込)の請求がありました。
 マイラインプラスとして、全ての登録区分を変更したのだから、以前の会社は使用していないはず。
 疑問に思って、問い合わせてみました。すると。
 マイライン登録する事によって、月210円割引されるサービスがある。マイラインを他社に変更したので、当然そのサービスは受けられなくなる。よって月210円、2ヶ月で420円の請求が来たのでした。

 つまり、マイライン等を変更しただけでは、以前の会社の契約が解除されたわけではないのです。私はそれで契約解除されたと思ってましたが、実際は解約を申し出る事によって、初めて契約解除となるんですね。
 上手くできているといえば、上手くできている。
 とは言え、今更そう言ってみても仕方ありません。
 疑問に思ったら、なんでも問い合わせてみるものです。今回請求書を見て気がついても、そのままにしていたら毎月ただ210円ずつ支払っていたところでした。
 締めの関係で、12月分も請求されるそうです。よって合計630円。ただ払う授業料としては、少々お高くつきましたねぇ。
 それでも、何事も勉強だと、思った次第です。
 


私的重大ニュース [考え事]

 今年も、残すところあと僅か。新聞等では、重(十)大ニュースも既に発表されました。毎年、恒例です。
 そこで私も今年一年を振り返り、私的な重大ニュースを考えてみました。目立った出来事としては、四つほどあります。

① 4月6日 母の死去。
 私の最愛の母が亡くなりました。享年70。71歳に、あと5日足りない生涯でした。
 現在の長寿社会にあっては、早過ぎる死かもしれません。しかし若い時に片肺の機能をなくし、以来常に病気との闘いだった母にしてみれば、よく70歳まで生きられた。自分でも、なくなる直前までそう口にしていました。
 なので私も、若い頃から母の死はいつも意識していました。その日が、一日でも先になる事を願いながら。
 実際にその日が訪れて、不思議と悲しみも寂しさもあまりありませんでした。覚悟が出来ていたからでしょうか。
 今はまだ、多くを語れません。

② 5月 小説を本として出版。

永遠へ続く宇宙(そら)

永遠へ続く宇宙(そら)

  • 作者: かまた えいこう
  • 出版社/メーカー: 新風舎
  • 発売日: 2005/05
  • メディア: 単行本

 自費出版に近い、共同出版という形での出版です。それでも自分が書いた小説が本になるという事は、感慨深いものがあります。

③ 5月21日 ブログを始める。
 出版した本を広く知って貰いたくて、ブログを始めました。
 実際、ブログを通して知り合った何人もの方に、お買い上げ頂きました。記事やコメントを通して、読んだ感想もお寄せ頂いております。ありがとうございました。
 そんな動機で始めたブログ。その後別の小説連載を始め、ネコの事などを記事として書いていくうちに、どんどんと交流の輪も広がっていきました。今では、当初は考えられなかったほど多くの方と、親しくさせて頂いております。
 この出会いを、大切にしていきたいと考えています。今後とも、よろしくお願い致します。

④ 11月9日 コムギが我が家へやって来る。
 家猫修行が目的で、我が家へやって来たネコのコムギ。その後紆余曲折があり、結局我が家で暮らす事になりました。
 イタズラ、ワガママし放題。やって来るなり、病院通い。
 それでもランディともども、私にとって大切な宝物です。元気で、長生きするんだぞ。

 以上が今年私の、個人的な重大ニュースといったところでしょうか。それ以外は、至って平穏な毎日。
 母の死という、悲しい出来事もありました。
 しかし一年を通してみれば、それなりに充実していたのではないかと思っています。

 皆さんはこの2005年、どのような一年だったでしょうか。
 


動物を戦わすべからず [考え事]

 闘牛という見せ物がある。勇猛な牛を相手に、闘牛士が華麗な手捌きで背中に槍様のものを突き立てていく競技だ。
 テレビ等で目にする度に、沸々と怒りが湧いてくる。
 動物愛護団体は、なぜ問題視しないのか。或いはしているのかも知れないが、少なくとも表立って私の耳には届いていない。
 たまに目にするだけで腹が立つくらいなので、詳しい事は知らない。最後どうなったら、闘牛士の勝利なのか。牛が息絶えるまで、槍を突き立てるのだろうか。
 スペイン人には、恨みも偏見もない。しかし闘牛を見ていると、蛮行に思える。大航海時代、新大陸の先住民を蹂躙し尽くした人間の血を引いているからかとも、思いたくなると言うものだ。

 別に動物が戦うのは、かの闘牛に限った事ではない。
 動物同志を戦わせる闘牛、闘犬、闘鶏。数え上げたら切りがないくらい、世界各地にあるだろう。
 日本も同様だ。
 動物たちを戦わせて、或いはそれを見物してだ。彼らが傷つくのを見て、どこが面白いのだろうか。

 人間同士が戦う格闘技も、古くからある。それはそれでいい。
 人間の場合動機はどうあれ、自身の意志で戦っているのだから。
 しかし、動物は違う。人間の娯楽の為に戦わされている。
 闘争本能が強く、戦わずにはいられない。そういう意見もあろう。しかしそれにしても、人間が生み出し、そのように仕立てたものだ。動物自身がどう思っているかなど、本当のところは分かるはずもあるまい。

 古代には奴隷とした人間を、死ぬまで戦わせる事を見せ物とした事もあった。自分の意志とは関係なく。
 考えてみて欲しい。もし、自分がそう言う立場に立たされた時の事を。
 それといっしょである。食用に屠殺するのとは、根本的に違う行為だ。
 最後に、動物たちを戦わせ、それを見物して喜んでいる輩に、声を大にしてもう一度言いたい。
 
動物が傷つくのを見て、そんなに楽しいのか。そんなに面白いのか。
 私には、到底理解出来ない。そして、絶対に許せない。


流行したらおしまいです [考え事]

                         流行したらおしまいである

 どういう事か。
 流行ったものは、いずれ廃れる。いかなる事象も、これをまぬがれる事は出来ない。

 分かり易いように、まずは物を例にとってみよう。
 たまごっち。ルービック・キュープ。アメリカン・クラッカー。フラフープ。ダッコちゃん。
 食べ物では、パンナコッタ。ティラミス。ナタデココ。そうそう、紅茶キノコなんてのもあった。
 完全になくなってしまったわけではないだろう。しかし、全盛期の勢いなど望むべくもない。
 商品としての物ならばそれでもいいだろう。売り手の企業からすれば、ブームとなった事で、相当の利益を上げたはずだからだ。廃れれば、新たにヒット商品を生み出せばいいだけの事。上記の流行り廃りは、その繰り返しの結果とも言えるかもしれない。

 しかしこれが、人となると話は別である。当人にとっては、悲惨な結果が待ち受けているからだ。
 人に流行があるのか。そう問われて、答えはあるだ。
 もっとも顕著なのが、流行語大賞、或いはそれに準ずるものを受賞した人。中でも芸能人だ。
 他の職業に従事する人はいい。発した言動が、仕事に直接影響するわけではないからだ。
 しかし芸能人は、そうはいかない。言葉そのものが、仕事だったりするからである。
 流行語大賞受賞者ばかりではないが、決めぜりふが一世を風靡した人。
 今脚光を浴びている芸人さんにも、先行き不安そうな人はいる。
 いくら世間に浸透したとしても、やがては飽きられる。そしてその流行の度合が大きければ大きいほど、その後の落差も大きい。たとえ実力があったとしても、流行語の廃れは、それを生み出した人物にまで及ぶ。
 長く活躍したければ、流行語を一人歩きさせない事が必要になるだろう。

 そして流行は、ついには企業にまで及んでしまった。ユニクロである。一時期、社会現象になるまでのブームを呼んだ。当然、業績は最高潮。しかし流行は、企業でさえも例外を許さなかった。
 一時の熱狂が醒めるとともに、業績も下降。もちろん、倒産にまで至る事はない。現在でも、それなりの業績を上げている。しかしユニクロを展開するファーストリテイリング社は、それで良しとしなかった。
 絶頂時の売り上げを上回るべく、創業者の柳井氏が退き、辣腕家として鳴らしていた若手、玉塚氏を社長に据え、業績回復を試みた。しかし結果は周知の通り。業績の回復を果たせなかった責任を取り、玉塚氏は辞任。事実上の更迭である。そして柳井氏が、第一線に復帰する事となった。
 しかし、誰がやっても結果は同じである。絶頂期の業績を上回る事は、絶対に不可能と断言する。なぜならそれは、流行したがゆえの結果だったからだ。流行して廃れたものが、往時を凌ぐ事などあり得ない。
 しかし悲しいかな、柳井氏を始めファーストリテイリング社は、それに気づいていない。現在でも業績は決して悪いとは言えないのに、流行という怪物を追いかけ、それを超えようと必死にあがいているようだ。

 私は、以上述べてきた事象を中傷しているわけではないし、ましてや非難しているわけでもない。
 ただ流行という現象を私なりに眺め、感じたありのままを語っているだけである。
 最近は、出版界でも同様と聞く。昨年、300万部を超えるベストセラーを記録した小説。その作家の他の作品、ヒットと言えるほどは売れないらしい。
 流行は人、物にかかわらず、最高到達点なのだ。それを経験し上手く生き残れたとしても、夢よ再びはない。それは望むべくもないのだ。
 ブームとはそう言うもの。流行したら、ある意味それでおしまいなのである。
 


小説に於ける新人賞受賞者の低年齢化 [考え事]

 これは、okkoさんこちらの記事にコメントしたものに加筆訂正を加えて、自らの記事としたものである。okkoさんに後押しされる形で、書く決心をした。そちらの記事も、是非ご覧願いたい。

「第42回文藝賞」(主催・河出書房新社)受賞者の一人は、15歳、中学3年生の女の子である。
 そして「第四回『このミステリーがすごい!』大賞」(主催・宝島社他)の特別奨励賞に、なんと13歳の女の子が選ばれた。
 それに対しokkoさんは、釈然としない思いを投げかけられている。
よくぞ、おっしゃって下さいました」
 と言う感じである。私も、全く同じ思いでいた。しかし、自分自身小説を書き、新人賞へも応募している手前、なかなか声を上げられずにいたのだ。

 読売新聞によると、第四回『このミステリーがすごい!』大賞。
「応募時12歳としては完成度が高いとして、今回、特別奨励賞が設けられた」
 とあった。文字通り、奨励する為の賞だったわけで、ならばと納得していた。
 がしかし、これが商業出版化されるらしい。となると話は別。他の作家や作品と、同じ土俵に上がるわけである。果たして、応募時12歳としては完成度が高い。その程度の作品で良いのかどうか。

 また文藝賞に関しては、売る為の話題作りとして、受賞者の若年化があからさまだと言う批判が、以前からある。
 今回、15歳で受賞した少女の作品を読んではいないので、その出来栄えについては何とも言えない。しかし、上記批判に説得力を持たせる結果になった事は、間違いないだろう。

 出版不況が言われるようになって久しい昨今。この業界も目先の利益ばかりを優先し、作家、作品ともに使い捨てられるようになったとも聞く。
 彼女たちの才能を潰す事なく、伸ばし育てていって欲しいものである。それが、年少者を作家として世に送り出した、出版界の大きな責任だと思のだが。


言葉を綴る [考え事]

 kenskishさんがご自身のブログで、書く事が好きとおっしゃっていた。
 そこで私、はたと気がついた。
「自分はどうなの? 書く事が……」
 実は、あまり好きではない。

 まずは、思った事、考えている事を言葉にする、更には文章にする。これは非常にしんどい。自分の表現力を棚に上げて、
「思いや考えを正確に表現するには、言葉が足りない」
 なんて、嘆いてみたりする。

 それから、面倒臭い。その上で、完璧主義なところがある。面倒臭がりの完璧主義者。これは結構厄介だ。
 言いたい事が表現出来ているか。言葉の端々まで正確であるか。何度も何度もチェックする。これで完璧、そう思う事はない。面倒臭いから、どこかで妥協して良しとしているわけだ。それが嵩じてくると、書く事自体が面倒臭くなる。

 それでは、なぜに書いているのだろう。
 ブログだけではない。小説なんぞという、ある意味もっと厄介なものまで。
 表現したいからなのかな。主張したいからなのかな。それには言葉が、一番身近で手っ取り早いからなのかな。
 分からないけど。もしかしたら、結構好き……なのかも知れない。


小学生のファイナルアンサー [考え事]

 きのうのクイズ$ミリオネア。夏休み恒例の小学生大会だった。

 それを見て、皆礼儀正しいのに感心した。

 センターシートに座ったのは四人。そのうち三人が、応援席の父母を紹介

る際、父・母と言っていた。もう一人は単に見逃しただけで、どう紹介していたの

かは分からない。

 大人でも父親・母親と紹介する人が多い昨今、意識したかどうかは分からな

いが、子供たちの言葉遣いは大したものである。

 その他の場面でも、概ねきちんと礼節をわきまえた態度だったように思う。

 そんな中にあって、子供らしい快活さも、もちろん発揮していた。

 いずれにしても、微笑ましい心持ちで見る事が出来た。

 何かと、とやかく騒がれる今日日の子供たち。

 それでも、あのような素晴らしい子供たちも大勢いるのだ。

 そう思うと、安堵すると同時に、嬉しさが込み上げてきた次第である。


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