So-net無料ブログ作成
検索選択
連載小説 2 ブログトップ
前の10件 | -

シング・アット・ザ・ムーン~天使の微笑み~ 1 [連載小説 2]

―まえがき―
 当ブログ 「えいこう編集部」 並びに 「シング・アット・ザ・ムーン~天使の微笑み~」 にようこそお出で下さいました。
 この連載を始めるに当たり、多くの方から暖かいお言葉を賜りました。この場を借りて、御礼申し上げます。ありがとうございました。
 長期連載になりますが、最後までご愛顧頂きますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 それでは、開演でございます。お楽しみ下さい。

 

「遅くなって悪い。バイトが延びちまった」
 竜はスタジオの分厚いドアを開けると、誰にともなく声をかけた。
 他のメンバーは既に揃っている。しかし、返事は返って来なかった。
シャドウ・ムーン』
 ギターの慎崎竜、ボーカルの高部稔、ベースの小森明、ドラムスの麻田尚人。この四人でバンドを始めたのは高校生の頃だから、かれこれもう四年になる。
 そしてキーボードの宮前しのぶ。彼女が加わったのは八カ月ほど前。仲間のレディスバンドから、ピアノが出来ると言う事で紹介されたのだ。
 男四人はバイト程度の職に就いているが、しのぶだけは都内某大学に通う学生だった。
「遅くなって悪かったな」
 ギターのネックがドアに引っ掛かるのを気にしながら、竜がもう一度声をかける。
「あっ、竜さん。おはようございまぁす」
 返って来たのは、しのぶの声だけだった。
 他の三人はと見れば、雑誌グラビアなどを見ながら、何やら盛り上がっている。
 竜は問いたげにしのぶを見た。
 しのぶは肩をすくめながら、
アイドルですよ」
 そう言って、頭を軽く左右に振った。
 竜にはさっぱり訳が分からない。
「アイドル?」
「そっ、かわいい女の子。竜さん嫌い?」
 しのぶは半ば呆れている様子である。
(そういや、しのぶも美人だが…)
 そう思いながら、竜はまだ彼女が何を言っているのか分からなかった。
「よう、竜。来てたのか」
 やっと気がついたように言ったのは、稔である。ちょっと顔を上げたが、すぐにまた視線をグラビアに戻してしまう。
「来てたかじゃねぇよ、今声かけたろ。まったく、何やってんだよ」
「何って。お前どっちがいいと思う?」
 今度は明が言った。
「どっちって、今夜の晩飯か?」
「バァカ、そうじゃねぇよ。相羽涼子と杉原夕希だよ」
(なるほどね。そういう事か)
 この二人の名前なら、竜にも聞き覚えがある。
 二人とも、今年の春にデビューした新人アイドルで、最近結構人気も出て来ていた。
「興味ないね」
「まぁ、そう言うなよ。俺は杉原夕希の方がいいと思うんだけど…ほら」
 尚人が差し出したグラビアを、竜は仕方なく受け取ったが、
「どっちでもいいよ」
 チラッと見ただけで、すぐに返してしまう。
「お前、付き合い悪いねぇ。涼子ちゃんの方がカワイイだろ」
 グラビアを受け取りながら明が言うと、
「そうそう」
 もっともだと言うように、稔も頷いた。
「俺にはよっぽどしのぶの方がいいと思うけど…なぁ、しのぶ?」
 いきなり竜に言われて、しのぶとしては戸惑ってしまう。
「えっ?や、やだァ…あたしなんて、そんなぁ」
 赤くなるところが可愛い。
「おい、そんな事言ってお前。しのぶに手出すなよ」
「そうだぜ、しのぶとは恋愛禁止だろ」
 稔も明も、結構真剣である。
「分かってるよ、バンドに亀裂が入る。言い出したのは、俺だからな。それより早く練習始めようぜ。あさってライヴだろ、時間がもったいねぇよ」
 笑いながらも、竜は気持ちを引き締めるように言った。

 約四十五分のステージは、今夜も熱狂的だった。
 アンコールにも何曲か応え、全て終了して控え室に戻って来ると、
「竜、電話だぜ。例の、ソニックレコードの人から」
 タイミング良く声がかかる。
「サンキュー、今行くよ」
「デモテープの結果だな。どうなったかな」
 明が言うと、みんな不安の眼差しで竜を見た。もう何度目の挑戦になるだろう。
「さぁね。あんまり期待するなよ」
 竜は軽く肩をすくめて見せると、それでも少し緊張した面持ちで控え室を出て行った。
「竜、恐い顔してたけど。もしかして、デモテープの結果?」
「歌織。来てたのか?」
 竜と入れ代わるようにひょっこり現れた顔に、尚人が声をかける。
 向坂歌織。しのぶをシャドウ・ムーンに紹介してくれたレディスバンド、ルナティック・ドールズ・パーティのギタリストである。
 竜とは妙に馬が合うと見えて、男女の間を越えて仲が良かった。実際、お互いの部屋に泊まり合ったりしているのだが、今まで一切エッチな関係にはなっていない。ただ彼女の名誉の為に断っておくが、物凄く美形なのだ。
「暇だったからネ…みんなして、何しけた顔してんのよ。だいじょぶだって、もっと自信持ちなよ」
 歌織に励まされても、みんな何となく黙り込んだままである。
「やっぱダメか」
 やがて戻って来た竜の落胆ぶりを見て、稔が抑揚のない声で言った。
「…………」
 竜が無言で頷くと、その場の空気が一層重苦しくなる。皆一様に押し黙ったままだ。思い思いの場所で、所在なげに煙草をふかしたり、意味もなく天井を見上げたりして、しばらく誰も口をきこうとしなかった。
「みんな、そんなにがっかりしないで。また頑張ればいいじゃない。いくらでもチャンスはあるわ」
 最初に口を開いたのはしのぶだった。落ち込んだこの雰囲気を何とかしようとして、努めて明るく言う。しかし、あまり効果はなかったようである。
「だけど、何がいけねぇんだ。演奏か?」
 明が煙草の煙を、天井に向けてゆっくり吐き出してから言った。
「いや、プレイは文句なしだそうだ」
 竜が答えると、
「じゃぁ、ボーカルか?」
 今度は稔が聞く。
「ボーカルもなかなかいいってさ」
「じゃいったい、何がまずいんだよ」
「曲だよ。インパクトに欠けるんだとさ。プロとして売るには厳しいんだと」
 竜が自嘲ぎみにそう言うと、
「アレンジの問題もあるからな」
 尚人が庇うように答えた。
 実際、シャドウ・ムーンのオリジナル曲はほとんどが竜の作曲で、詞も半分ほど書いている。ただアレンジに関しては、それぞれのパートが各々自分でやっていた。
「だけど前に出した時とは、いくらかアレンジ変わってるんだぜ」
「前に出したのは、違うレコード会社だからな。知らねぇだろ、今度のとこ」
「まぁ、そりゃそうだけど」
「あたしはいいと思うけど、竜の曲。カッコいいし」
 歌織は同じギタリストとして、竜に一目置いている。
「歌織のいう通りだよ。ファンの連中だって、気に入ってるって言ってんだぜ」
「んな、レコード会社の連中がガタガタ言ってるんならよ。もっとファン増やして、それみやげに乗り込んでやろうじゃねぇか」
 他のメンバーは大分立ち直ったようだが、竜一人まだスッキリしない。やはり自分の曲が不契約の原因と言う事が、相当応えているようである。
「じゃ、先に帰るわ。お疲れ……」
 ギターを背負いながら、大儀そうに控え室のドアを開けた。
 その背中に、尚人が声をかける。
「おい、いっしょに飲んでくんじゃなかったのか?」
「またにするよ」
 竜はそう言ったが、みんなの心配そうな顔を見ると、
「もっといい曲創ってくるぜ」
 笑いながら付け加えて、控え室を出て行った。
「竜さん大丈夫かしら。大分落ち込んでたみたいだったけど…」
 しのぶの心配そうな言葉に、
「あいつなら心配ねぇよ。これくらいの事」
「今に、ほんとにいい曲書いて来るからあいつ」
「俺達も頑張んねぇとな」
 みんな竜を信頼しているようで、口々にそう言い合った。

 ―つづく―


nice!(3)  コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

シング・アット・ザ・ムーン~天使の微笑み~ 2 [連載小説 2]

 地下にあるライヴハウスから外へ出ると、竜は夜空を見上げた。十月に入り、雨上がりという事もあって少し寒い。皮ジャンの襟を立て、ギターをしょい直すと、滑り易い足元を気にしながら階段を上って行く。
 階段を上り切った歩道には、ファンの女の子が何人かいた。彼の姿を見つけると口々に声をかけて来る。
「竜、飲みに行くんでしょ?おごるよ」
「今夜はあたしんとこに泊まって行きなよ」
「何言ってんのよ、今夜はあたしんとこじゃない」
 しかし竜は、その前を見向きもせずに通り過ぎて行く。
「ちょっと竜。どうしたのよ、返事もしないで」
 一人が少しムッとした調子で言ったが、相変わらず振り返ろうともしない。
「悪いな、ちょっと気分じゃないんだ。またにしてくれよ」
 後ろ手に振ると、夜の街へ足を速めた。彼女達がブツブツ言っているのが聞こえるが、そんな事はどうでもいい。一刻も早く、闇の中へ紛れ込みたかった。
 ビルの角を曲がって彼女達から見えなくなると、竜はホッと肩で息をついて足を緩める。
 今回はいささか自信があっただけに、デモテープの結果にはかなり落ち込んでいた。
「クソッ!」
 一人になりたかったくせに、なればなったで、自分に対するやり場のない怒りが込み上げて来る。
「竜さぁーん」
 突然、聞き覚えのある声がした。振り返ると、しのぶが息を切らして駆けて来る。竜は立ち止まって、彼女が追いつくのを待った。
「良かった、追いついて」
 しのぶは息を弾ませている。
「どうしたんだ?そんなに慌てて」
「余計なお世話かも知れないけど、ちょっと心配になっちゃって」
 少しためらいがちに、竜の眼を覗き込んだ。
「だいじょうぶ?」
「あぁ、平気だよ。あれくらい、どって事ないさ」
「良かった」
 彼女の可愛い笑顔を見て、竜の気持ちもいくらか明るくなった。
「ほんとはかなり応えたんだ、今回は。でも、しのぶのおかげで大分楽になった」
「ホント?良かった」
 しのぶも、何となく嬉しいような気持ちになる。
ビールでも飲むか?」
「またにするんじゃなかったの?」
 からかうような調子で言うと、
「気が変わった」
 竜は何事もなかったような澄まし顔で答えた。
「でもいつもの店じゃ、みんな来るよ」
「分かってるよ。だから、あれだよあれ」
 指さす先を見ると、ビールの自動販売機。しのぶは少し呆れ顔になる。
「あれ、ですか」
 しかし竜は、そんな言葉にはお構いなしに缶ビールを二本買った。
「ああ言った手前、あそこにゃ行きずらいもんな、やっぱり」
 言いながら、一本投げてよこす。
 が、いきなり投げられても、しのぶだって困る。
「おっとっと」
 取り落としそうになって慌てているうちに、手の中で散々缶を踊らせてしまった。
 その様子に、竜がさも愉快そうに笑う。
「それ、噴くぜ」
「もう、いきなり投げるからぁ…竜さんにかけてやる」
 缶を向けられ、竜は慌てて手でそれを遮りながら、顔を背けた。
「よせしのぶ、もったいないぞ」
「そういう問題じゃないでしょ…全く…この寒いのに、ビールだって…それも外でよ…体が冷えちゃうじゃない…」
 しのぶはブツブツ言いながら、缶を自分から目一杯離し、尚かつ顔を背けておいて、プルタブを抜く。途端にビールが泡となって勢いよく吹き出した。親指と人差し指で缶をつまんでそれをよけ、泡が納まるのを待ってから一気にグーッと三口ほど飲む。
「あぁ、おいしいッ」
「寒空の下で飲むビールもなかなかいいもんだろ」
 しのぶは、勝手な事を言う竜を軽く睨んでから、
「でも、さむい」
 そう言って身を縮めた。
「悪かったな、しのぶ。バカな相手させちゃって」
 竜が急に真顔になるので、しのぶは少し戸惑ってしまった。
「そんなァ、全然気にしてない…」
(ホントは嬉しかったのに)
 喉まで出かかった言葉をやっとの思いで飲み込んで、別の言葉にすり替える。
「これでも、ちょっとは役に立ったでしょ?」
「あぁ、気分が晴れたよ。ありがと」
 竜に真っすぐ見つめられて、しのぶは胸がキュンと痛んだ。
「良かった…」
 それだけ言うのが精一杯で、彼の視線が眩しくて、思わず眼を逸らす。
 そんな気持ちを知ってか知らずか、
「たまには送ってくよ。お礼といっちゃ何だけど」
 竜はもう普段の口調に戻っていた。
「そんな、悪いです。一人で大丈夫だから」
 しのぶが、何とか気持ちをふっ切って答える。会う時はいつもバンドのメンバーがいっしょなので、二人きりになるのは初めてだ。本当はもう少しいっしょにいたかったのだが。
「遠慮するなって…あっそうか、彼氏でも待ってるのか」
「まさか。そんなのいないって言ったじゃないですか」
「えっ?そうだっけ。でも、それならかまわないだろ。さぁ、いこいこ」
 しのぶはそれ以上逆らわない事にした。本当は送ってもらいたかったのだから。
「しかし分かんねぇなあ」
 渋谷駅に向かって歩きながら、竜が言った。
「何がです?」
「何がって、お前んとこの大学の野郎達だよ。こんな美人でいいコをほっとくなんてさ…分かった、しのぶがえり好みしてんだろ。もっとも、男と遊ぶのに夢中で、バンドをおろそかにされても困るけどな」
「男の子と遊んでるより、バンドやってた方が楽しいから」
 美人だなんて言われて、しのぶはちょっとドキンとしたが、無難な答え方をした。竜に思いを寄せているなんて、言える訳がない。
「でも、お前がバンドに加わってくれて良かったよ。なんせ、あれだけ弾ける奴はなかなかいないからな」
(竜さんにとって、あたしはバンドのキーボードでしかないのかなぁ)
 そう思うとしのぶは何だか悲しくなって、気づかれないようにそっと溜息をついた。

 しのぶのアパートは、京王沿線の笹塚にある。
「とうとう送って来ちゃったね。大変でしょ、ここから帰るの」
 本当は嬉しかったのだが、気を遣ってそう言った。
 竜のアパートは神楽坂だ。ここからだと新宿、高田馬場と、二回乗り換えなければならない。しかも、私鉄、JR、地下鉄と続くから、確かに大変である。しかし、
「別にどうって事ない。全然問題ないよ」
 実際それくらいは、本当に大した事ではないようである。
「それならいいけど」
「しかし、俺んとことはえらい違いだな」
 眼の前の真新しい建物と、自分の住んでいるボロアパートを比べて、竜が溜息をつく。
「泊まってっちゃおうかな、ちくしょう」
「えっ?あっ、だってあたし、一人ですよ」
 竜がふざけて言った言葉を真に受けて、しのぶはちょっとドギマギした。
「それなら、いいボディ・ガードになるぜって、俺が一番危ねぇか」
「あー、危ない、危ない。竜さんなんか泊めたら、それこそあたし、ボロボロにされちゃうわ」
 やっと冗談と気づいたようで、自分も軽く冗談で返す。
「ボロボロかぁ?参ったな。全然信用ないなんて、可哀相だなぁ俺…しょうがない。じゃぁ帰るかな、ボロアパートへ」
「あの…ちょっと寄ってけば?」
 いざ帰るなんて言われると急に名残惜しくなって、しのぶは咄嗟に本音が出てしまった。
「ボロボロにされちゃうぜ」
「竜さん、そんな事する人じゃないでしょ?信用してるから」
「そんな簡単に、男を信用するなよ」
 竜は笑顔で言ったが、眼は笑っていない。
 そんな冗談とも本気ともつかない態度に、しのぶはその真意を量りかねた。
「大丈夫。まだ男の人、部屋へ入れた事ないから」
「そうだな。その気がないなら、その方がいい。男なんて、女とやる事しか考えてねぇからな。しのぶなんか前にしたら、抑制が利かなくなっちまうぜ」
 その言葉で、竜が何人もの女の子のところを泊まり歩いているのを思い出した。胸の隅にチクリと痛みを感じながら、しのぶは何となく確かめてみたくなる。
「竜さんも?」
「さぁ、どうかな。相手がしのぶじゃ分からないぜ」
「でも竜さん、色んな女の子と遊んでるじゃない」
 思いもかけない強い口調に、しのぶは自分で驚き、ハッとした。思わず赤くなる。
「それは合意の上での事だぜ。それに彼女達は一応俺達のファンだから……いや、言い訳はやめよう」
 他のメンバー達の事は分からない。ただ、少なくとも竜だけは、半ば義務的にそれらの女の子達に付き合っているのを、しのぶは薄々感じていた。しかし、それでもベッドをともにしている事に変わりはない。
「合意の上なら、何人の女の子と寝ても構わないんだ?」
 嫉妬心を抑える事が出来ずに追及する。
「なんか今夜のしのぶ、やけにおっかねぇなぁ。俺、そんなに悪い事してんのかな?」
「別に悪いとは言わないけど…」
 余りにもムキになっていた事に気づいて、しのぶは少し声を落とした。
「さぁて。これ以上しのぶに怒られないうちに、帰るとするかな」
 気まずくなりかけた雰囲気を払いのけるように、竜は努めて明るく言った。
「ごめんなさい。あたしがどうこう言う問題じゃないのに、ついムキになっちゃって」
「気にするなって。しのぶの言う通りかも知れないしな…俺もちったぁ自粛するかな。それじゃぁ、おやすみ」
「おやすみなさい。気をつけて…」
 竜への切ない思いで胸が一杯になる。今来た道を戻って行くその後ろ姿を見送りながら、しのぶは深く深く溜息をついた。

「おぅい慎崎、ビッグ・ニュースだぞ!」
 フロア中に響き渡るような大声に竜が振り返ると、声の主は他にいようはずもない。竜のアルバイト先である黒川楽器店の従業員、坂田だった。
(相変わらず声がでかいな)
 竜は心の中で苦笑した。
 平日の午前中は、客もまだそれほど来ない。暇を持て余しているところへ、坂田の大声が飛んで来たのだった。
「どうしたの?坂田さん」
「おう慎崎、聞いて驚くなよ」
 坂田は得意になっている。
「相羽涼子が、うちのホールでイベントやるんだってよ」
「相羽涼子?」
「なんだお前、相羽涼子知らないのか?」
 その口振りはまるで、
『相羽涼子を知らないなんて犯罪だ』
 とでも言わんばかりである。
 竜は、この前稔たちが騒いでいたのを思い出した。
「あぁ、名前くらいは知ってるよ。でも、それがどうしたの?」
「どうしたってお前、相羽涼子だぞ。あの相羽涼子がうちでイベントやるんだぜ」
「坂田さんひょっとして、相羽涼子のファン?」
 相羽涼子を連発して妙に興奮している坂田がおかしくて、竜はからかうように聞いた。
「えっ?あぁ、実はな…ここだけの話だぞ」
 坂田が照れたようにちょっと赤くなる。しかしその大声じゃ、全然ここだけの話にはなっていないようだが……。
「へぇ。でも、そりゃ良かったじゃないですか」
「あれ?興味なさそうじゃん、お前」
「俺は別にファンじゃないから。そう言ええば、うちの稔や明が何だかファンだとか言ってたなぁ…だけど、いずれにしても俺には関係ないでしょ」
「それがあるんだよ。俺達みんな、手伝いに駆り出されるらしいぜ。まぁ、握手会を兼ねた、ミニコンサートみたいだけど」
(それでこんなに盛り上がってんのか)
 竜は心の中で一人納得しながら、
「それでいつ?」
 坂田に話を合わせる。
「今度の日曜だ」
「今度のって、そりゃまたずいぶん急だな」
 驚くのも無理はない。今日は火曜日だから、当然あと一週間もない。たとえどんな小さなイベントだとしても、一週間もなしに準備が出来るはずがないのだ。
「俺もまだ詳しくは知らないんだけどな。本当は他でやるはずだったらしいんだけど、何かの都合で使えなくなっちまったんだと。それで相羽涼子の所属するプロダクションの社長が困っちまって、うちの社長とは古い知り合いらしくてな。それじゃうちのホールを使えって事になったらしいぜ」
(それだけ知ってりゃ充分だ)
 竜はまた心の中で感心した。
 黒川楽器店の社長、黒川昭吾。彼が、相羽涼子の所属する野木プロダクションの社長、野木洋介と古い友人関係にあるのは確かである。しかし、涼子のイベントを黒川楽器店のホールで催す事にしたのは、もちろんそればかりが理由ではない。
 涼子は、ピアノが弾ける事を売りにしていた。
 従って黒川にしてみれば、涼子のファンを少しでも客として取り込みたい。
 また野木にしてみれば、楽器店を使う事で、涼子はただのアイドルじゃない。音楽的にもしっかりしているんだと、アピールしたかったのだ。
 だから元々の会場も、楽器メーカー系列のホールを選んでいる。
 いずれにしても、そう言う二人の利害関係が一致した結果でもあった。

 ―つづく―


nice!(3)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

シング・アット・ザ・ムーン~天使の微笑み~ 3 [連載小説 2]

 日曜日。黒川楽器店の従業員約十名は、朝から四階にあるホールで、相羽涼子のイベントの設営に追われていた。ほとんどが機材を運んだりイスを並べたりで、坂田の張り切っている姿も見える。
 そんな中竜は、プロのエンジニアに混じって、ギターアンプのチューニングやマイクのセッティングなどを手伝っていた。バンドをやっている関係で、SRに関して結構明るいのだ。
 一応コンサートのスタートは、午後四時である。十一時頃になると、バックバンドのメンバーが続々とやって来て、各々楽器のチューニングを始める。
 昼近くになり、会場の準備もほぼ整った頃。いよいよ本日の主役相羽涼子が、黒川の案内で会場に姿を見せた。
 いかにもやり手と言った感じの紳士。それとはまったく正反対の、どことなく頼りなげに見える若い男。そんな二人に挟まれて、守られるような格好で入って来る。
 意外なほど地味なスタイルで、化粧っ気も全くなかった。
 確かに、素顔でも人眼を引くほど美しいと言うか、可愛らしい少女ではある。しかしテレビで見る華やかな印象とは違い、今の涼子はどこにでもいる普通の高校生と言った感じだった。
(へぇ。なかなか、かわいいコじゃない)
 しかし竜は、そんな芸能界擦れしていない涼子に、却って好感をもったようである。
「えーっ、みんな集まってくれ」
 ステージの上から黒川が号令をかけると、従業員一同、ゾロゾロとやって来てその前に集合する。竜も仕方なく、みんなの後ろからステージを見上げた。
「えーっ、みんなご苦労さん。それじゃこれから、みんなが待ち望んでた、相羽涼子ちゃんを紹介しよう」
 黒川の言葉に拍手が起こるが、
(別に待っちゃいねぇよ)
 竜一人そう思いながら、それでも仕方なくステージを見上げている。
 黒川に紹介された涼子は丁寧におじぎをすると、その容姿からは意外なほどしっかりした口調で挨拶を始めた。
「おはようございます、相羽涼子です。今日は私の為に頑張って頂いて、本当にお疲れ様でした。皆さんのお陰で、いいライヴが出来そうで感謝してます。短い時間ですけど、皆さんも是非いっしょに楽しんで下さいね」
 最後に軽く会釈してニッコリ微笑むと、また拍手が起こる。同時に、『カワイイッ』と言うような、溜息にも似た声があちこちで漏れた。
「えーっ、そしてこちらが涼子ちゃんの所属する野木プロダクションの社長、野木洋介さんだ」
 涼子の挨拶に続いて、先ほどのやり手ふうの紳士が紹介される。
「野木です。本日は皆さんのご尽力、急遽会場を提供して頂いた黒川氏のご厚意ともども感謝します。おかげで相羽涼子のコンサートも、滞りなく行う事が出来ます。本当にありがとう」
 野木は良く通る低い声で、短く感謝の意を表した。
 しかし、言葉遣いこそ丁寧ではあるものの、どことなく高圧的で冷たい印象を与える。
 そこのところが、竜には何となく気に入らなかった。
「社長…」
 野木の挨拶が終わるが早いか、バックバンドのキーボード奏者であり、バンドマスターでもある河野が、ためらいがちに声をかけた。
「ギターの北本がまだ来ていないんですが…」
 恐る恐ると言った感じで告げる。
「どういう事だ」
 野木の冷たい声が、更に厳しくなった。
「分かりません。遅刻するような奴じゃないんですが」
「当然だ。プロなんだからな」
「はぁ……」
 遅れているのは北本なのだが、野木の決めつけるような厳しい言葉に、変わりに河野が恐縮している。やはりバンドマスターである以上、河野も多少なりとも責任を感じているのだろう。
「北本のところへ電話してみろ」
 野木は、涼子の陰に隠れるように立っている、頼りなげな男に言った。
 涼子のマネージャーである海老根が、慌てて携帯電話を持ち直す。するとそこへ、まるでそれを待ち兼ねたように電話がかかって来た。
「もしもし…え?何ですって…しかしそれじゃ…まぁ、仕方ないですね…分かりました。それじゃ、お大事に」
「どうした」
 海老根の受け答えに、ただならぬものを感じた野木。電話が終わるのももどかしく、一際厳しい口調で言った。
「はい…電話は病院からなんですけど……」
 海老根が消え入りそうになりながら語ったところによると、電話はギターの北本からだった。
 ここへ来る途中、信号無視をしたバイクに引っかけられてしまったらしい。幸い大事には至らなかったのだが、右手の人差し指を骨折したと言う事だった。指の骨折では、ギターは弾けない。
「全く、この大事な時に、仕方のない奴だ」
 悪いのは信号を無視したバイクの方で、北本に責任は全くない。
 しかし、野木にはそんな事情は一切関係なかった。今日のイベントの開催が危うくなる。そちらの方が重大事なのだ。
「今更、代わりは見つからんぞ」
「はぁ…」
 野木の口調はいよいよもって厳しい。
 しかしそう言われても、社長になす術がない以上、海老根だってどうしていいか分からない。途方に暮れているところへ、
「あの…どなたか、ギター弾ける人はいらっしゃらないんですか?」
 そう言ったのは、今までまるで他人事のように成り行きを見ていた涼子だった。
 そう、ここは楽器店だ。ギターを弾ける人間が、一人や二人いたっておかしくない。
 しかし、野木も海老根にしても、はなからプロのミュージシャンしか頭にない。だから、そんな考えには及びもしなかったのだ。
 そこへ行くと涼子は、芸能界に入る前の高校で、バンドを演っている友達をたくさん知っていた。アマチュアだって結構弾けるものだ。実際自分だって、数カ月前までは単なる音楽好きの高校生で、仲間とワイワイやっていたのだ。だから楽器店で働いている人の中には、当然ギターを弾ける人がいるはずだと思ったのである。
「いますよ。バンドをやってるんですがね。ギターの腕に関しては、下手なプロ顔負けって奴がね」
 黒川は自信を持ってそう言った。もちろん、それは竜の事である。
 黒川自身、昔はギター弾きとして相当鳴らしたのだ。だから人を見る眼も確かである。彼は竜の腕を高く買っていて、いずれはプロになって名を馳せる奴だと思っていた。
「ホントですか?良かった。ねぇ社長、その人に頼みましょうよ」
 涼子がまるで、
『これでもう心配ない』
 とでも言うように、ホッとしたような笑顔を作ると、
「まぁ、黒川さんがそう言うんなら大丈夫だろう。この際、背に腹は変えられない。それじゃ黒川さん、その人にお願い出来ますか」
 野木も仕方なくその意見に同意した。まだ不安ではあったが、他にどうしようもない。
「分かりました。慎崎竜って言うんですが、今呼びますから」
 何かトラブルがあった事は、ステージの下にいる連中にも伝わっていると見えて、皆好き勝手な事を言い合っている。
 そんなザワついた中にあって、竜一人我関せずと言った感じで、
(今夜はマミのとこに泊まるかな。待てよ、ユキがいいか。あいつ結構料理上手いからなぁ。晩飯浮くぞ)
 そんな勝手な事を考えているところへ、
「おーい、竜」
 いかにも野太い声が飛んで来た。しかし、
(だけどなぁ。あいつ、しつこいかんなぁ。寝不足になっちまう…)
 竜はそんな身勝手な考えにふけっていて、他人の話など全然聞いていない。
「おーい竜、呼んでるんだぞ。聞こえないのか?」
 黒川の更に大きな声に、顔を上げはした。が、まだ自分が呼ばれている事には気づかないらしく、キョロキョロと周囲を見回している。
「おい竜、社長がお呼びだぞ」
 呆れ顔の坂田に促されて、竜は慌てて立ち上がった。
「はい、何でしょう」
 一応素直に返事をしてステージに向かう。
「こいつが慎崎です」
「どうも…」
 黒川に紹介されはしたが、何が何だかさっぱり分からず、ともかく頭だけは下げる。
「事のいきさつは、だいだい聞こえただろう」
「えっ?何の事でしょうか」
 竜のキョトンとした顔を見て、黒川は呆れた。
「何だお前、ひとの話なんにも聞いてなかったのか?」
「すいません、ちょっと考え事してたもんで」
「また女の事考えてたな」
 からかうような黒川の言葉に、竜が正直に答える。
「それと晩飯の事を。今夜、どこに厄介になろうかと思って」
「しょうがない奴だな。たまには自炊しろ」
「どうも苦手なもんで。それに、その方が何かと都合がいいんですよ、お互い」
 黒川の揶揄に大真面目な顔で答えるのがおかしくて、涼子が思わずクスッと笑った。
『何がおかしいんだ』
 とでも言うように竜が見ると、慌てて真顔に戻る。
 その表情の変化にハッとするような美しさを見て、竜の胸が心なしかときめいた。が、
「まぁ、そんな事はどうでもいい」
 黒川の言葉に、その思いはすぐに打ち消された。
「とにかく。バックバンドのギタリストが、ここへ来る途中怪我をしてギターが弾けなくなった。今からじゃ代わりも見つからん。そこでお前に白羽の矢が立ったというわけだ。どうだ、演ってくれるか」
「俺はかまいませんよ、そういう事なら」
 事もなげに言う竜に対して、野木はまだ半信半疑だったが、涼子はすっかり安心したようである。
「良かった よろしくお願いします」
「えっ?いや、こちらこそ。ど、どうも」
 面と向かって頭を下げられると、さすがに竜も恐縮してしまって、答えがしどろもどろになる。
(へぇ。礼儀正しくて、いいコじゃない)
 それでも頭の中では、結構冷静に涼子を分析していた。
「それじゃそういう事だから、みんな取り合えずお昼にして。リハは一時から始めるわ」
 バンドに号令をかけたのは、以外にも涼子だった。
 それを合図に、各々仕出しの弁当を取り、思い思いの場所で広げ始める。
「黒川楽器の皆さんも、お弁当で申し訳ないんですけど、どうぞ」
(へぇ、なかなかやるじゃない)
 その場を仕切る涼子を見て、竜はまたまた感心してしまった。
「それじゃ涼子。我々も食事に行くか」
「あたしもお弁当でいいです。みんなとおんなじもの食べたいし…それに、慎崎さんと曲について打ち合わせたい事もあるから」
 野木の言葉を遮って、涼子はさっさと弁当を取りに行く。
「しょうがないな。海老根、涼子を頼むぞ…それじゃ黒川さん、我々だけで行きますか」
 野木は苦笑しながらも厳しく命令しておいて、黒川と連れ立って出て行った。
 自分もご相伴に預かれると期待していた海老根は少々ガックリ来たが、社長命令では仕方がない。彼にとって、野木社長の言葉は絶対なのだ。
「河野さん、あたしの分もある?」
 涼子が声をかけると、河野はいかにも意外そうな顔をする。
「あれ?姫も弁当食うのかい。社長と食事に行くんじゃなかったの?」
 どうやらバンド内では、姫と呼ばれているらしい。
「あたしだってバンドの一員よ。みんなとおんなじもの食べたいじゃない」
 涼子は仲間である事を強調した。何とかバンドに溶け込もうと、努力しているように見える。
 バンドの連中も、自分達を気遣ってくれるそんな彼女を、悪く思うはずがない。だから皆言う事を聞いてくれるし、また姫と言って大切にしてくれるのだ。
「そうだよな。もちろん、数に余裕を持って頼んであるから、姫が食う分ぐらい、二つでも三つでもあるぜ」
 嬉しそうに言いながら弁当を取ろうとする河野に、
「あたしそんなに大食いじゃないよ。でも、海老根さんと慎崎さんの分と併せて三つね」
 涼子は笑いながら言って、三つ受け取った。
「それじゃ慎崎さん。リハの前に打ち合わせと言うか、お願いしたい事がありますから、いっしょにお願いします」
「あぁ」
 涼子に促されて、竜は気のない返事をした。
 これが明か稔ででもあったら大変だ。恐らく狂喜乱舞して喜ぶに違いない。
 現に坂田なども、
「何だよ竜。涼子ちゃんといっしょに飯食うのかよ。このしあわせもの」
 そう言いながら、盛んに羨ましがっている。
 しかし、竜には一向にピンと来ない。
「そう言うもんですかねぇ?……おっと、おいてかれちまう。じゃぁね」
 そう言い残し、慌てて涼子の後を追った。

 ―つづく―


 


nice!(3)  コメント(6)  トラックバック(1) 
共通テーマ:

シング・アット・ザ・ムーン~天使の微笑み~ 4 [連載小説 2]

 一応、控え室の体裁を整えた十二畳ほどの部屋。涼子は、自分の荷物が置いてあるテーブルに落ち着いた。
「とりあえず、お昼食べてからにしましょ」
 言われて竜は、少し離れたところに腰を下ろした。無言で弁当を広げる。
 マネージャーの海老根は、影のように涼子に付き添っている。いるのかいないのか、まるで分からない。
「こんなお弁当でごめんなさいね」
 涼子が気を遣う。
「いつもろくなもん食ってねぇから平気だよ。こんな昼飯、上等な方だ」
 それはまさしく、竜の本音だった。
「バンド演ってるんですって?」
 何とか打ち解けようと思ったのか、涼子が話のきっかけを掴もうとする。
「うん、まぁね」
 竜は気のない返事をした。足をだらしなく組んで、片肘をテーブルにつく。そんな行儀の悪い格好で、弁当をつついている。
 涼子はそんな事には一向にお構いなく、質問を続けた。
「どんな音楽演ってるの?」
 言葉遣いもわざと親しげにする。
コミックバンド」
「えっ?」
 意表をついた答えに、思わず素っ頓狂な声で聞き返す涼子。
「ハハッ。冗談だよ、ロックだ。まぁ、ハード・ロックてとこかな。君にはあんまり縁がないかもしれないけど」
「ふーん」
 竜の本気とも冗談ともつかない態度に戸惑って、涼子は曖昧に頷いた。彼女の努力にもかかわらず、どうも話がかみ合わない。会話が盛り上がらないのだ。
「あっ、そうだ。それで思い出した。バンドの連中にサイン頼まれてたんだ」
 その場の妙に浮き上がった雰囲気を察してか。それとも今がチャンスと思ってか。竜がその話を切り出した。
 どこで情報を仕入れたのか、稔も明も、今日のイベントの事を知っていたのだ。多分坂田にでも聞いたのだろう。それにしても、尚人までがサインを頼んで来たのには、いささか驚いた。
「えーと、何にして貰おうかな。アイツら、ひとに頼んどいて何もよこさねぇんだからな、ったく」
 ブツブツ言いながらあちこち見回し、弁当の包み紙を引っ繰り返して、
『…やっぱこれじゃダメか…』
 などとやっている竜が何となくおかしくて、涼子がクスクス笑っている。
「いいわよ、色紙ならいっぱいあるから。何枚いるの?」
「そうか、悪いね。それじゃ三枚」
 竜は良かったと思いつつ、それでも多少恐縮しながら言った。
「三枚ね。それだけでいいの?…海老根さん、お願い」
 言われて海老根が色紙を持って来ると、
「ありがと」
 礼を言ってそれを受け取り、涼子は慣れた手つきでマジックを走らせる。
「お名前は?何て書けばいいのかしら」
「みのるにあきら。それからえーと…なおと。字は忘れた。ひらがなでいいよ」
「もう、それでも仲間なの?薄情ねぇ」
 いい加減な竜の言葉を楽しそうに聞きながら、涼子は平仮名で三人の名前をそれぞれ色紙に書き足した。
「いちいち字まで覚えちゃらんないだろ?」
「そうかしら…もしかして、自分の字は覚えてる?」
 問いかけた涼子は、ほとんど真顔である。
「あのなぁ、俺はガキじゃねぇんだから。いくらなんでも自分の名前ぐらい…」
「そう言えば、あなたはいらないの?」
 涼子は抗議の言葉を途中で遮って、首を傾げながら竜を見つめる。
 そんな彼女の魅力的な眼差しを受け止めかねて、竜は眩しそうに視線を逸らした。
「俺はいいよ」
「どうして?あたしの事、きらい?」
 その瞳が微かに翳る。
「別に、好きとか嫌いとか…ただ、あんまり興味ないんだ。俺はロックばかりだから」
「そっかぁ、そうよだね。みんながみんな、あたしのファンになってくれるわけないもんね。あたしって自惚れやだなぁ」
「そんな事ないさ。現にうちのバンド男四人、そのうち三人までが君のファンだ。すごい確率だろ?それもかなり熱狂的だぜ、アイツら」
 自嘲ぎみに下を向く涼子に、竜は変な慰め方をした。
「慎崎さんて優しいんだ……皆さんによろしく言っといて下さいネ」
「分かった。喜ぶぜ、アイツら」
 話が一段落したところで、いよいよ本題に入る。
「それじゃ慎崎さん、今日演る曲の事なんですけど…これが譜面です。いちおう五曲なんだけど」
 竜は渡された楽譜を無言で受け取って、大雑把に眼を通した。
「そんなに難しくはないと思うんですけど。ただ、一か所問題というか…」
「五曲目、『月に降る雪』の間奏だね。へぇ。でもこれって、君の作曲なんだ?」
 涼子の言葉を途中で遮り、竜が言った。作曲者の名前を見て、少し驚いている。
 それは涼子も同様だった。
(あんなふうにざっと見ただけで分かるなんて…この人もしかして……)
 凄いと思いつつ、無言のまま見つめている。
「基本的にはピアノソロみたいだけど。ピアノは君が弾くのかい?」
「そ、そうです。一応ピアノとギターのユニゾンになってるんだけど、今までイメージ通りに弾いて貰えた事がないの。録音のもちょっと違うし」
「まぁ、いずれにしても俺はヘルプだから。譜面通り、間違えずに弾くのが精一杯だぜ」
「そうですね。あんまり無理言えませんよね」
 そう言いながらも、
(この人なら、あたしのイメージ通りに演ってくれるんじゃないかしら)
 涼子は心の中で密かに期待していた。何しろ、ちょっと見ただけで簡単に楽譜を理解してしまったのだ。頭の中にメロディーが浮かんでいなければ、なかなか出来る事じゃない。
「そろそろリハーサルの時間だよ」
 マネージャーの言葉に頷いて、涼子が立ち上がる。
「それじゃ、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく」
 そう言って竜も立ち上がった。その顔は、まるで自分達のライヴが始まる前のように、引き締まっている。

 二人がホールに入って行くと、バックバンドのメンバーは既にスタンバイしていた。
「お待たせ」
 ステージに上がりながら、涼子が明るく声をかける。
「まずはお互いの紹介をしなくちゃね。みんなもう分かってると思うけど、こちらが北本さんの代役を務めてくれる事になった、慎崎竜さん」
 言われて竜が、軽く頭を下げた。
「で、こっちがうちのバンド。まずはバンマスでキーボード担当の河野さん。もう一人キーボードで、斉木さん。ギターの楠川さん。ベースの中原さん。そしてドラムスでボケ担当の高沢さん」
「ボケ担当は余計だぞ」
 変な紹介のされ方に、高沢が笑いながら抗議の声を上げた。
 他の連中もニヤニヤ笑いながら、それでも一様に
『涼子のいう通りだ』
 と言わんばかりの顔をしている。
 つられて涼子も笑いながら、
「最後に私が紅一点、ボーカルの相羽涼子。以上ディフェンダーでーす」
 自分を紹介する表情は、はにかんだような照れ笑いに変わった。
「ディフェンダーかぁ」
「俺達にピッタリだろ?姫がフォワードなら、さしずめ俺達は後ろをガードして、彼女を盛り立てるディフェンダーてとこだからな」
 高沢の得意げな言葉に、
「タカはサッカーフリークだからな。いや、フーリガンだって意見もあるけど」
 中原が茶化すように言った。
「バカヤロ、おれは至って紳士だぜ。なぁ、姫?」
「ウフ、そうね」
 真面目腐った顔で同意を求める高沢に、意味ありげな含み笑いで答える涼子。
 そんな彼女と、ディフェンダーとの間にある信頼関係の厚さに、本当のところ竜は少し驚いていた。
「それじゃはじめよう」
 涼子の言葉に、一同それぞれの位置につく。
「慎崎君ギターは?」
「俺の音出すわけに行かないから、あれば貸して貰えますか」
 河野の言葉に、竜は落ち着き払って言った。
「そうだな。なら北本のがあるから。楠川、貸してやれよ」
「初見じゃ大変だから、俺が北本さんのパート弾こうか?」
 楠川は北本のギターを出して来ると、涼子と竜を交互に見ながら言った。気を遣っているのか、それともまるで緊張した様子を見せない若造に対抗意識を燃やしたのか。その表情から読み取る事は出来ない。
「そうね…でも、一度慎崎さんに弾いて貰いましょ。だいじょぶですよね?」
「うん、譜面があるからね」
 竜はあくまでも冷静である。
 涼子にしてみれば、漠然とした期待感があるから、北本のパートは是非とも彼に弾いて欲しい。ただ、そうはっきり言う訳にも行かない。取り合えず曖昧に言葉を濁したのだが、彼女の言葉は絶対である。
 楠川はそれ以上何も言わなかった。
「準備OKです」
 あっと言う間に、しかも完璧にチューニングを済ませて、竜がギターを構える。
「じゃぁ、一曲目から一通り通して行こう」
 涼子に促されて、高沢がカウントを出す。それを合図に演奏が始まった。
 現在ヒットの兆しを見せているサードシングル、『ティアーズ・フォー・ユー』を皮切りに、セカンドシングル、ファーストアルバムから一曲、そしてデビューシングルと続いて行く。
 最初の曲、『ティアーズ・フォー・ユー』以外、竜にはほとんど聴き覚えのない曲ばかりだった。それでも楽譜通り、一分の隙もなく完璧に自分のパートをこなして行く。実際彼にしてみれば、この程度の演奏は造作もない事だった。
 そして問題の五曲目、『月に降る雪』だ。やはりファーストアルバムからの曲だが、作曲者は先ほど竜が驚いたように、涼子自身だった。詞はプロの作詞家の物だが、アルバムとは言え最初からいきなり自作の曲を入れてしまうアイドルも珍しい。野木プロダクションと、所属レコード会社である、ゲインMECの並々ならぬ自身と期待の現れだった。
 涼子がピアノの前に座り、鍵盤にそっと指を落とす。と同時に、スローなバラード調のメロディーが切なげに流れ始め、会場内を静かに満たして行く。
 それまで、踊ったりリズムを取ったり、思い思いに楽しんでいた黒川楽器の面々。そして涼子サイドのスタッフ達も、皆シーンと静まり返ってしまった。固唾を呑んで、そのメロディーに耳を澄ましている。
 竜はピアノに、そして弾き語りで唄う涼子の声に神経を集中していた。時折チラッと眼をやるだけで、楽譜をほとんど見ていない。それでも涼子を見て、そのピアノの音を聴いていれば充分だった。
 一コーラス、二コーラスと進み、いよいよギターとの掛け合いによるピアノソロに入った。涼子が竜を見る。寸前譜面に眼をやり、一瞬にして音符を頭に叩き込むと、彼もまた見つめ返した。
 繊細なピアノの音をフォローするように絡んで行くギター。それはまるで、たわむれに逃げる恋人を追いかける少年のように優しげだ。
 涼子が逃げ、竜が追いかける。なかなか捕まらない。そんな追いかけっこをしながら間奏は進んで行き、最後のシンコペイションを迎える。竜は一瞬溜めて、そして一気に涼子を捕まえた。
 同時に涼子がサビを唄い出す。見つめる表情が満足そうな笑顔に変わり、竜に向かって愛を語りかけているようだった。
「スゴい!どうして分かるの?ああ言うふうに弾いて欲しかったの。あたしのイメージ通りだわ」
 最後の音が消えると同時に、ピアノから離れた涼子。眼を輝かせながら、竜の元へ飛んで来た。
「大したもんだ。北本があれだけ苦労しても、なかなか姫の満足行くようには弾けなかったのに。一発で決めちまうんだから」
 河野もしきりに関心している。
「たまたまですよ。ただ俺がイメージした通りに弾いただけで」
「だって、あの通りなんだもん。あそこはああ言うふうに演って欲しかったの、あたし」
 涼子は喜びでかなり興奮している。
「姫と気が合うって事かな?だけど、他の曲だって完璧に弾けてたしな。いずれにしても、腕は確かなようだ」
 他のメンバーも、楠川でさえそれを認めない訳には行かないようだった。
 更に何曲か気になるところをチェックして、リハーサルは終了。
 涼子は上機嫌だった。ステージを降りようとしている竜に、弾んだ声をかける。
「今日は慎崎さんのお陰で、凄くいいライヴが出来そう。良かった、ありがとうございます」
「期待に添えて良かった。本番も足を引っ張らないように、せいぜい頑張るよ」
 竜も心なしか嬉しそうである。
 そして期待通り、コンサート本番も大成功だった。
 ファンの熱狂。
 涼子の新人とは思えない歌唱ぶり。
 そして竜のプレイも、まるでずっと以前からバンドにいるような余裕ぶりだった。アンコールで再び演奏した『ティアーズ・フォー・ユー』。曲のイメージを壊さない程度にだが、それでも自分のスタイルを出して、得意のアドリブをぶちかましていた。
 つられてか、他の連中も幾分、いつもより白熱しているようだった。

 ―つづく―


 


nice!(3)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

シング・アット・ザ・ムーン~天使の微笑み~ 5 [連載小説 2]

 握手会の方も無事終わり、涼子は再びホールに戻った。
 会場の撤収もあらかた終わっている。手際よく立ち働いているスタッフの中に、竜の姿を探した。ホールの片隅で、壁にもたれて煙草をふかしている。
「こら、サボッてるな」
 笑いながら涼子が近づいて行くと、
「いけね。見つかっちまった」
 そう言って、竜も笑い返した。
「今日はほんとにありがとうございました。こんなに凄いライヴになるなんて、もう最高。みんな慎崎さんのお陰です。慎崎さんて、あたしが知ってる中で、最高のギタリストだわ」
「そりゃ嬉しいな。でも最高って、何人くらい知ってるんだい?」
 聞かれて、少し考えるように小首を傾げる涼子。やおら悪戯っぽい眼をしながら言う。
「三人くらい…」
「おいおい、それじゃほとんど知らねぇっての」
「アハハ、冗談ですよ、冗談。これでも結構詳しいんですよ、あたし」
 無邪気にコロコロ笑う笑顔が何とも愛らしく、竜にはとても眩しく感じられた。
「でも。最後のアンコールなんて、アドリブでしょ?」
「うん。アンコールだからいいかなと思って、自分のスタイルで弾いて見たんだけど。結構ハードな曲だったし」
「あの方が全然良かった。曲の感じにも合ってたし…慎崎さん、プロ目指してるんでしょ?」
 涼子が真面目な顔になる。
「まぁね。一応、レコード会社とかあちこち当たってるんだけど。なかなか難しくてね」
「でも、慎崎さんなら絶対プロになれますよ。あたしが保証します…って、あたしなんかじゃしょうがないか」
「そんな事ないさ…実際、見直したっていうか。俺、今までアイドルなんて、ろくに歌も唄えない、音楽の事なんか何も分かっちゃいない、ただ踊らされてるだけの人形だって思ってたんだ。相羽涼子だって同じ眼で見てた。でも君は違ったよ。本物の、プロのミュージシャンだった」
「ホント?慎崎さんに認められて、あたし誰に言われるよりもなんか嬉しい」
 それは涼子の正直な気持ちだった。本当に嬉しそうな笑顔を見せている。
 竜も、彼女の真実の姿を理解出来た事が、何より嬉しかった。
「俺、なんか君のファンになっちまったな」
「ほんとぉ?やったぁ。それじゃ、あたしのCD貰って。是非聴いて欲しいの」
「いや、それはやめとく」
「えっ?……そっかぁ、やっぱりCD聴くほどじゃないよね。あたしまたまた…」
 残念そうな涼子の言葉を遮って、
「そうじゃないんだ。君のCD、自分の金で買って聴きたいから」
 竜は照れ笑いを浮かべながら言った。
「慎崎さん……」
 思いがけない言葉に感激して、涼子は言葉が続かない。そこへ、
「涼子ちゃん、そろそろ行かないと。雑誌の取材に遅れるよ」
 飛んで来たマネージャーの声に、ハッとなって時計を見た。
「あー、ほんとだ。たいへんたいへん!遅れちゃうわ……慎崎さん、今日はありがとうございました。また休みの時にでも、お店の方に遊びに来ますから、必ず。それじゃ」
 そう言って深々とお辞儀をすると、足早にホールを出て行く。
 竜はそんな涼子に、無言のまま優しげな眼差しを投げかけていた。

「慎崎君、社長がお呼びよ。お客さんみたい」
 竜が常連客相手に雑談を交わしていると、突然後ろで声がした。
 それを潮時にと腰を上げ、
「分かった、すぐ行く…じゃそういうこったから、またな」
 従業員専用のエレベーターで、社長室のある三階へ向かう。
「慎崎ですけど」
 竜は社長室のドアをノックしながら告げた。
「おう、来たか。まぁ入れ」
 黒川社長のいつもと変わらぬ、屈託のない声が返って来る。
「失礼します」
 部屋の中に入ると、黒川の他に見覚えのある顔が一つ、来客用のソファに座っていた。
(あれ?この人確か、相羽涼子のマネージャー…なんて言ったっけ、えびす…いや、えび…なんだっけ)
 そんな事を考えながら、竜が突っ立ったままでいると、
「まぁそんなとこにいないで、こっちへ来て座れ」
 黒川が上機嫌で招く。
「はぁ…」 
 竜は曖昧な返事をして、言われるままに海老根の向かいに腰を下ろした。
「あの、話って何でしょうか?」
「うん、いい話だぞ。まあ私が話すより、直接海老根君から聞いた方がいい」
 黒川が二人を交互に見比べながら言うのを聞いて、
(そうそう、エビネだった)
 竜は心の中で呟いた。
「きのうは大変お世話になりました。今日は折り入ってお願いがあって伺ったんですが」
 相変わらず頼りなげな眼を向けながら、海老根が話し始める。
「実は涼子が、慎崎さんのギタープレイを大変気に入りまして、どうしても一緒に演りたいと。そこで是非バンドのギタリストになって貰いたいという事で、私がお願いに上がった次第なんですが」
 海老根はそこで言葉を切ると、
『どうでしょう』
 と言うように見た。
 この男を見た時に、それを予期しなかった訳ではない。ただ実際に面と向かって言われてみると、やはり多少驚かずにはいられなかった。しかし、竜には全くその気がない。
「そう言われてもねぇ、気持ちは嬉しいんですけど…第一、いくらなんでも涼子さんの一存では決められないと思うんですが」
 やんわりと断りにかかる。
「もちろん、社長の野木の了解も取ってあります。涼子が余りにも熱心に説得するもんですから。まぁ社長にしても、しっかりギターを弾いてくれればいいわけですし。それに関してはきのう慎崎さんのプレイを見てるから心配ないわけです。であれば、涼子自身があんなに熱心に推薦するのを、敢えて反対する理由もないですから」
 海老根が当たり前のように説明する。
 しかし竜の方は困った。何と言って断ろうかと思案顔になって、暫し考え込む。
「竜、何も考える事はないだろう。私はいい話だと思うがな」
 煮え切らない竜の態度に、黒川が口を挟んで来た。いかなアイドルのバックバンドとは言え、れっきとしたプロには違いないのだ。彼が意気込むのも無理はない。何せ竜がプロのギタリストになるのを、まるで自分の事のように楽しみにしているのだ。何と言ってもそれは、黒川自身果たせなかった夢でもあるのだから。
 しかし竜は、その言葉で逆に決心したようだ。
「申し訳ありませんが、やっぱりお断りします。別にバンドも演ってますし」
 言われて慌てたのは海老根である。野木もそうだったが、彼にしてもまさか相羽涼子のバックギタリストの話を断る訳がないと高をくくっていたのだ。
 その点、涼子本人だけが心配していて、
『絶対説得して来て』
 と、何度も念を押していた。
 そんな涼子の入れ込みようを考えると、断られてあっさり引き下がる訳には行かない。
「分かってます。もちろん、そのバンドを辞めろとは言いません。平行して続けて貰って構わないんです。報酬の面でも、出来るだけご希望に添うようにしますし。それに何と言っても、相羽涼子のバンドマンを演っていれば、あなたのバンドがプロになるのにも何かと有利だと思うんですが」
 海老根にしては珍しく熱弁を振るった。
 それに押されるように、黒川も説得に加わる。
「そうだぞ竜。こう言っちゃ何だが、お前らあちこちデモテープを送ってるが、しかし結果は芳しくないんだろう。涼子ちゃんのバック演ってれば、そういう面で色々チャンスが巡って来るかも知れんじゃないか」
「だけど俺、バックバンドって性に合わないんですよ。そんな事で、シャドウ・ムーンをプロにしたくないし。生意気なようだけど、俺は自分達の力でプロになりたいんです」
 妙に力むでもなく淡々と話す竜に、黒川もそれ以上は言えなかった。彼自身若い頃はそう思っていたのだ。自分の力でプロになって見せると突っ張っていたものだ。
「とにかく、この話はお断りします。わざわざ来て頂いたのにすいません。それじゃ俺、仕事がありますから」
 これ以上長居は無用とばかりに立ち上がり、竜は足早に社長室を出て行った。
 後に残された海老根は、困り切った眼を黒川に向ける。
「アイツは結構頑固だから。こればっかりは、私にもどうにも出来ん」
 海老根の視線を受け止めながら、黒川は処置なしと言うように首を振ったのだった。
 しかし次の日の夕方。竜はまたしても社長室に呼ばれたのである。
 行ってみると、何と今度は涼子自らが来ていた。隣には、まるで付録のようにマネージャー君も座っている。
 彼女の姿を認めるなり、
「きのう、こちらのマネージャーさんに断ったはずだけど」
 竜は挨拶もせずに言い放った。
「もちろん聞きました」
 涼子が平然と受け流す。
「だったら、君が何しに来たんだい?」
「決まってるでしょ。あたし自身がお願いに来たんです。嫌だって言われて、あたしだってはいそうですかって、諦めるわけには行かないもの」
 そんな挑戦的な態度に、
「とにかく座ったらどうだ」
 黒川の言葉も無視して、
「それがひとにお願いする言い方かい?」
 竜は立ったまま、上から涼子を見下ろした。
 涼子がおもむろに立ち上がる。ちょっと下から、一瞬眼線を竜に合わせると、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。でもあたし、どうしても慎崎さんにギターを演って貰いたくて…」
「君がなんて言おうと、ダメなものはダメだ」
「どうして?」
「どうしてって、それはきのうも話したけど」
「分かってるわ!」
「なら聞くなよ!」
 二人とも突っ立ったままだ。勢い口調も激しくなる。
「そうじゃなくて…こんなにお願いしてるのに。あたし、どうしても慎崎さんのギターが必要なのよ。あなただって、あたしのファンになるって言ったじゃない」
「それとこれとは話は別だ。だいたいさぁ、何も俺なんかじゃなくったって、もっと上手いギターなんか、いくらでもいるだろ」
「いないわ。あたしにとっては、慎崎さんが最高だもん」
 言い切られて、竜は言葉に詰まった。真っすぐに見つめる涼子の視線を受け止めかねて、溜息をつきながら眼を逸らす。
「うまく言葉では言えないけど。あたしの気持ちをあんなに理解してくれるのは、慎崎さんしかいないのよ」
「たまたまだよ。たまたま、あの曲のイメージが合っただけさ」
「あの時だけじゃないのよ…なんて言うか、あなたがギターを弾いてくれれば、なんかうまく行くって言うか、安心出来そうな気がするの」
「こんなに惚れ込まれたんだぞ竜。引き受けてやったらどうだ」
 涼子の必死の思いを見かねた黒川が、助け舟を出してくれた。
 暫くの間考えこむ竜。そしてとうとう、覚悟を決めた。
「…………分かったよ。君のバックシャン、引き受ける」
 涼子の熱意に加え、黒川にまであんなふうに言われては、さすがに引き受けざるをえない。
「ホントですか?やったぁ」
「ただし、シャドウ・ムーンは続ける。それと、君との仕事以外の事では、一切干渉しない。これが条件だ」
「もちろんです。ありがとうございます、慎崎さん」
 涼子は天にも昇りそうな気持ちでそう言った。
「そうと決まれば、残念だがうちにはいられんな。頑張れよ、竜。首になったら、いつでも戻って来い」
「はぁ、ありがとうございます」
 冗談めかした黒川の励ましに、竜が煮え切らないまま返事をする。
 こうして慎崎竜は、相羽涼子のバックバンド、ディフェンダーに参加する次第となったのである。

 ―つづく―


nice!(3)  コメント(9)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

シング・アット・ザ・ムーン~天使の微笑み~ 6 [連載小説 2]

「それじゃ、少し休憩しましょ」
 トータル十曲ほど演奏したところで、涼子が言った。
 ここは青山にある、ゲインMECのレコーディングスタジオ。慎崎竜をディフェンダーの正式メンバーに加えて、初めての音合わせである。涼子の号令の下、ディフェンダーのメンバーが集合していた。
 ミキシングルームに戻り、流し録りしておいたDATを再生する。缶コーヒーなど飲みながら、それぞれくつろいでいると、
「あーっ、たいへんたいへん!」
 突然、涼子が小さく叫んだ。飲みかけたミルクティの缶が、口元で止まっている。
「どうした?」
 隣に座っていた竜は驚いて彼女を見たが、他のメンバーはただニヤニヤ笑っているだけだ。
「あたし、声が引っ繰り返ってた」
「そうか?別に気がつかなかったけど」
「ほんの少しだから」
「なら、そんなに大騒ぎするほどの事もないんじゃない?」
「ハハハ、姫の口癖なんだ。すぐたいへんたいへんて、大騒ぎする」
 二人のやり取りを愉快そうに聞いていた高沢が説明する。
「だってさぁ…」
 涼子が拗ねたように口を尖らせると、
「だってなぁ。姫にとっちゃ、大問題だもんなぁ」
 中原がからかうように助け舟を出す。
「ヴ~~」
 涼子は不満を漏らしたが、その眼は笑っていた。
「いずれにしても。ざっと聴いたところ、結構まとまってるんじゃない?」
 ふざける他のメンバーと違って、河野の発言はいかにもバンマスらしい。
「そうね。でもあたしのイメージとしては、もっとバンドを強調したいのよ」
「と言うと?」
「つまりなんて言うか…慎崎さんには、もっとあたしに絡んで欲しいの」
「おっ、大胆な発言」
「ちゃかさないで」
 ふざける高沢を軽くたしなめておいて、涼子が続ける。
「もっと自由に弾いて貰いたいって言うか。前に出て欲しいのよ」
「なるほど。その為に、半ば強引に引き入れたわけだもんな」
 河野が言うと、
「慎崎なら出来そうだな」
 どうやら楠川も、竜を認めたようである。
「でも、ファンのひんしゅく買わないかい?俺は別に構わないけど」
「大丈夫よ。あたし、ファンにはあたしの音楽をちゃんと聴いて貰いたいの。だから、そんな事気にしないわ」
 竜の心配をよそに、涼子はあくまで強気だった。彼のギターを得た事が、自信にも繋がっているようだ。
「いずれにしても、姫の演りたいように演るだけだ。頼んだぜ、慎崎」
 河野の言葉は、同時にディフェンダーの総意でもあった。
 どうやら竜は、上手くバンドに溶け込めたようである。

 慎崎竜のサポートを得て、相羽涼子はまさしく一気に開花した。
 デビューして半年。芸能界の事など何も分からず、周りのスタッフに言われるまま夢中でやって来た。ただそんな中にあって、音楽に対する自分の姿勢だけは表現したいと思ってはいたのだ。それがなかなか理解して貰えず、もどかしい思いをして来た。そんなフラストレーションが、竜の出現で一気に爆発した感じだった。
 水を得た魚のように、涼子はテレビで、ステージで唄った。それに伴い、ヒットの兆しを見せていた『ティアーズ・フォー・ユー』もとうとうブレイクし、ヒットチャートのトップに駆け上がったのである。
 全ては、ほんの一カ月ほどの間の出来事であった。
 そんな涼子の傍らでギターを弾く竜にも、注目が集まる事になる。確かなテクニックと、ツボを心得たステージングが評判になったのだ。
 しかし、彼自信は注目される事を嫌った。ファンからの問い合わせを無視し、マスコミからの取材依頼も拒否した。あくまで涼子の影である事を望み、それは同時にプライドの現れでもあったのだ。
 涼子はそんな竜をもどかしく思うと同時に、また頼もしくも感じていた。ギタリスト、ミュージシャンとしてだけではない。一人の男として、知らず知らずのうちに気持ちが傾いて行くのも、むしろ当然の成り行きだったと言える。
 バンドと行動を共にする時は、常にそばにいるようになっていた。幸い他のメンバーは、皆一回り前後涼子と歳が離れている。その為、同世代の竜となら話も合うのだろうぐらいに考えて、誰もさして気にもとめなかった。
 竜にしても、そんな涼子が憎かろうはずはない。しかし実際のところは、頼りになる兄貴のように、無難な態度を装っていた。事実彼には三つ違いの妹がいるので、特に意識する必要もなく、ごく自然にそんな接し方をする事が出来たのだ。
 今日も涼子は、移動中の新幹線の車中で、竜の隣にチョコンと座っていたりする。
「慎崎さん、アメなめる?」
 しかし返事がない。竜は耳にヘッドホンを突っ込んでいるのだ。何やらシャカシャカと、耳障りな音が漏れている。
「慎崎さぁーん」
 涼子は少し声を張り上げたが、全然知らん顔だ。
「もう」
 仕方なく、袋からキャンディをつまんで顔の前につき出すと、
「おっ、サンキュー」
 やっと気がついたように言って、竜はそのしなやかな指先から、直接キャンディを口に含んだ。傍目には、まるで仲の良い恋人同士に見える事だろう。
「もう、さっきから音楽ばっか聴いてるんだから」
 涼子は非難がましい口調で言いつつ、彼の耳から無理やりヘッドホンを引っこ抜いた。
「こらこら、何するんだ」
「さっきから音楽ばっかり聴いてるって言ってるの」
「する事ないもんな、他に」
 ごく当たり前の言葉を口にする竜に対して、
「つまんないっ」
 まるでだだっこのような我がままを言う涼子。普段他の人には、絶対にそんな自分勝手な事を言ったりはしない。自分は自分で、静かに本を読んでいたりするのだが。
「…………」
「つまんないよ、あたし。慎崎さん、一人で音楽ばっか聴いてるんだもん。つ・ま・ん・な・い!」
 竜が返事に困って黙っていると、涼子は調子に乗って更に追い打ちをかけるように非難する。
 しかし、口を尖らせて睨んでいるその顔が、何とも愛らしく竜の眼には映った。理不尽な我がままを責める気には、とてもなれない。
「ごめんごめん…でもこれ、うまいじゃない?」
「でしょでしょ。ミルクティなの、このアメ」
 涼子だって、別に本気で怒っている訳ではない。竜が相手をしてくれると分かると、途端に機嫌が良くなった。
「そう言えば涼子、いつも決まってミルクティ飲んでるな」
 竜は他の連中のように、姫と呼んだりしはなかった。彼らと違い年齢が近いせいか、何となく違和感があったのだ。親しくなるに従って、ごく自然に涼子と呼び捨てにするようになっていた。彼女にしても、その方が嬉しかったようである。
「ミルクティ大好きなの、あたし。森屋佐紀子さんて知ってるでしょ?」
「女優の?」
「そう。あたしにとって、芸能界のお母さんみたいな人なんだけど。佐紀子さんの作るミルクティが一番おいしいのよ」
「ふぅーん。なんか特別な葉っぱでも使ってんのかな?」
「分かんないけど。いっしょの仕事になるって分かってる時は、いつも作って来てくれるの。慎崎さんにも飲ませてあげたいなぁ」
「ところでさぁ、涼子」
 涼子の持っている袋からキャンディを一つつまみ出し、無造作に口の中に放り込むと、
「お前。俺とミルクティと、どっちが好きなんだ?」
 窓の外に眼をやりながら、竜は何げない口調で唐突な質問をした。
「えっ?」
 突然ドキッとするような事を聞かれて、涼子は少々戸惑った。竜の顔を、横目でチラッと盗み見る。
 外の景色を、見るともなく眺めているその表情からは、何を考えているのか、その真意を読み取る事は出来ない。仕方なく、取り合えず探りを入れて、反応を見る事にする。
「そうね…慎崎さん……」
「ん?」
 竜が一瞬眼を輝かせて、こちらを向く。
 その表情の変化に、
『脈ありかな』
 なんて少々期待しつつも、はぐらかすように、
「のギター」
 すかさず付け加えた。
「なるほど。そりゃ、ごもっともだな」
 肩透かしを食らった格好の竜だったが、それでもポーカーフェイスを装うのは忘れない。
 涼子はまたまた分からなくなった。と同時に、
(あたしの事、どう思ってるのかしら)
 やっぱり、どうしてもそれが知りたくなって来る。でも絶対にそれとは気どられたくはない。ジレンマに陥りながらも、なるべく何気ないふうを装って聞いてみる。
「慎崎さんは、あたしとギターと、どっちが好きなの?」
「もちろん、涼子に決まってるだろ」
 平然と言い放つが、実際のところ竜にしても、心の中には涼子と同じ葛藤があるのだ。
 傍で見ていると何とももどかしく、また微笑ましい。しかし、当人達にしてみればはなはだ真剣で、それなりに大問題だったりするのだ。
 竜の顔をまじまじと見つめながら、涼子は眉根にシワを寄せて疑り深い表情になる。
「ホント?」
「ほんとだよ」
 見つめ返しながら真面目くさった顔で言う竜。
 しかし涼子が更に探るような視線を向けると、意識的にかその表情に変化が現れる。
「ウソ、眼が笑ってる」
 涼子も、口元をほころばせながらボソッと言った。
「おっと、しまったな。眼が口ほどにものを言っちまったか」
「やっぱりね。調子いいんだからまったく、慎崎さんは」
 言いながらお互いに笑い出し、結局冗談にしてしまった。
「ねぇ慎崎さん。シャドウ・ムーンのスタジオ、今度はいつなの?」
「どうしたんだ?いきなり…えーっと、明日だったな」
 唐突に話題を変えられて、竜は一瞬考えてから言った。
「何時から?」
「いつも八時からだけど」
「なら学校終わってからでも大丈夫ね。あたしも行っていい?」
「別に構わないけど、何で?」
「何でっていわれても困っちゃうけど…」
 明日は涼子もオフなのだ。とは言え、まだ現役の高校生なので当然授業がある。休みと言っても、ほとんどつぶれてしまうのだ。学校が終わった後独りで過ごすよりは、やっぱり竜といっしょにいたかった。だけど、そんな事言える訳がない。
 それを知ってか知らずか、
「涼子だって、明日はせっかくの休みだろ?」
 竜がそんな事を言う。本当は自分だって、涼子といっしょにいたいにもかかわらずだ。
「だけど、休みって言っても学校があるし、その後する事なくて退屈なんだもん。あたしが行ったら迷惑かな?」
「そんな事ないよ。だいたいアイツら、喜んで張り切っちまうぜ、きっと」
 竜はメンバーの顔を思い浮かべてみる。
 涼子のバックギタリストをやると聞いた時の男三人、特に明の顔と言ったらなかった。最初はとても信じられない様子だったが、それが事実と分かると、その喜びようは形容しがたいものだったのである。
 ただ竜は気付かなかったか、しのぶだけが淋しそうに表情を曇らせていた。
「良かった。なら連れてってね」
「よし、分かった」
 涼子が微笑むと、竜も頷き返す。
 明日の約束を交わしはしたが、取り合えずはそこまでだった。結局、お互いにほのかな愛情を感じてはいたものの、まだ面と向かって訴えられる段階ではなかったのだ。

 ―つづく―


nice!(3)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

シング・アット・ザ・ムーン~天使の微笑み~ 7 [連載小説 2]

「じゃぁ、ちょっと休憩するか」
 スタジオに入って一時間。次のライヴに演る十曲一通りを消化したところで、竜が言った。それまで張り詰めていた緊張感が、フッと緩む。
「それじゃみんな、何か飲むでしょ。あたし買って来る、何がいい?」
「そんな悪いわ、涼子さんに買いに行かしちゃ」
 和んだ空気を察知して明るく言う涼子を遮ったのは、いつもはそれが自分の役目になっているしのぶだった。言葉の調子に、微かなトゲがある。
 しかし、涼子は一向に意に介する様子もなく、あくまでも明るかった。
「いいのいいの。差し入れ、なんにも持って来なかったし、そのくらいサービスしなくちゃ。みんな、何がいい?」 
「悪いね。そんじゃ俺、コーラ」
 尚人がすかさずオーダーを出す。元来、あまり遠慮のない男と言うか、細かい事にはこだわらない性格なのだ。
「俺はあったかいコーヒー、お願いします」
「俺も同じで」
 続いて明、稔も注文する。こちらは多少恐縮しているようである。
「分かった。しのぶさんは?」
「私も同じでいいわ」
 しのぶもそれ以上は逆らわなかった。
「はぁーい。慎崎さんは冷たいコーヒーだったよね」
「おう」
 涼子は、心得ているところを見せておいて出て行った。
 昨日の約束通り、彼女をスタジオに連れて来たのだ。
 竜に伴われて入って来た涼子を見た時のメンバー一同。しのぶ以外は、驚くと同時に何とも嬉しそうにしていた。
「涼子ちゃんが来たんじゃ、俺頑張っちゃうかなぁ」
 特に明など、そんな事を言いながら一際張り切っていた。心なしかプレイにも、いつもより熱が入っていたようだ。ただ涼子の存在を意識し過ぎてか、その挙動は妙にぎこちない。気にはなるのだが、意識的に彼女と眼線を合わせる事を避けているようでもあった。
 それは、稔や尚人にしても同じである。
 涼子もそんなぎこちなさを感じてか、極力目立たないように、竜の横に寄り添いながら大人しく座っていた。そして、時折気遣って向けられる彼の視線に、嬉しそうにニッコリと可愛い微笑を返しているだけだった。
 そんな中、やはりしのぶだけは別で、曲の合間のいつもと違ったぎこちなさも敢えて無視。ただ、竜が涼子と何か言葉を交わすのを、横眼でチラッと気にしていたようではあったが。
「たいへんたいへん!」
 スタジオの重たいドアが開いて、空気が漏れる音といっしょに、涼子の甲高い声が飛んで来た。
 何事が起こったかのような言葉にも、竜はもうすっかり慣れている。
 みんながびっくりして眼を向ける中、
「どうしたの涼子ちゃん。何があったのかな?」
 いつもの事だと言う感じで、まるで子供に尋ねるようにからかい半分である。
「たいへんなの。冷たいコーヒー、売り切れちゃってるの」
 それを聞いて、一同皆ズッコケる。
「こいつの口癖なんだ。気にせんでくれ」
 溜息とともにみんなに説明してから、
「ホットでいいよ」
 涼子に向かって優しく言った。
「分かった」
 言って彼女が再び出て行くと、
「かわいいよなぁ」
 しみじみとした口調で明が呟く。
「まぁな。いつもあんな調子なんだ」
「いつもって、竜。お前そんなにしょっちゅう、涼子ちゃんといっしょにいるのか?」
 竜の言葉を聞きとがめて、明が突っ掛かって来た。
「あぁ。移動の時とかな、いつも俺にくっついて歩いてる」
「甘えん坊なのね、彼女」
「そうそう、かわいいもんさ」
 しのぶの冷めた言い方を受けて、竜が事もなげに言った。
 しかしそれが面白くないと見えて、明は益々気色ばむ。
「お前、まさか彼女に変な気起こしてないだろうな」
「心配するなって。お前と違って俺は興味ないから、涼子に」
「その、呼び捨てにするとこがまた気にいらん」
 明が尚もブツブツ言っているところへ、涼子が戻って来た。
「あちちち…はいどうぞ」
 それぞれに缶を渡して回ってから、最後はやっぱり竜のところである。床に座り込み、壁にもたれる格好で楽譜に見入っている彼の隣に、自分も同じように座り込んだ。
「はいコーヒー。熱いよ」
 そう言って、頬っぺたに缶を当ててよこす。
「うぉぁアチッ。コラ涼子」
 驚いた竜が睨んだ。
「だから、熱いって言ったじゃない」
 おかしそうに笑う涼子の頭を、拳で軽くコツンと叩きながら、
「普通に渡せんのか、お前はまったく」
 缶コーヒーを受け取ったが開けはしない。ラークを一本取り出し、火を点けた。
「涼子、灰皿取って」
「どこにあるの?」
「アンプの上」
「はいはい」
 涼子は素直に立ち上がって、ギターアンプの上から灰皿を取って来る。
「はいどうぞ」
サンキュー
 竜は、差し出された灰皿に灰を落としながら言った。
 涼子は灰皿を自分の前に置くと、投げ出されたラークの箱を取り上げる。手の中で弄ぶようにしながら眺めていたが、じきにそれを、ライターを重ねて灰皿の横に置いた。それから、ほどよく冷めたミルクティのプルタブを開ける。
「慎崎さん、このミルクティおいしいよ」
 一口飲んで、嬉しそうに竜の肩を叩いた。
 しかし竜は、興味ないと言った感じで、楽譜に見入っている。
「ねぇねぇ、佐紀子さんが作ってくれるのに近い味なの…ねぇってばぁ」
 更に言われて、竜はやっと涼子の方へ顔を向けた。
「へぇ、そりゃ良かったじゃない」
「うん。新しく出たみたいなんだけど、なんかラッキーだよね。一口飲んでみて」
「どれどれ」
 本当に嬉しそうな涼子から缶を受け取って、竜は一口飲んでみた。
「なるほど。こりゃいけるワ」
「でしょでしょ」
「俺こっち飲むから、涼子コーヒー飲めよ」
 そう言われて、嬉しそうだった涼子の顔に不満の色が広がる。
「えーっ、だめだよぉ。それあたしのだもん」
「いいだろ、たまにはコーヒーだって」
「ヤダッ!あたしコーヒー、ダメなんだからぁ」
「ハハハ。分かった分かった。じゃ、あと一口だけな」
 別に竜だって、本気でミルクティが飲みたい訳ではない。ただ面白がってからかっているだけなのだ。
 しかし、涼子は結構マジになっている。
「全部飲んじゃだめだよぉ」
 竜が口元へ持って行く缶に両手を添えて、気が気ではない様子だ。まるで、取り上げられたオモチャを返して欲しくて、いじいじしている子供のようである。
 缶に口をつけながら、そんな様子を横眼で見ていた竜は、
「大丈夫だよ」
 そう言って一口飲むと、素直に返してよこした。
 涼子はそれを受け取るとやっと安心して、自分も一口飲んだ。
「やっぱりおいしい」
 そう言って、ニッコリ微笑む。
「まったくガキだな、涼子は」
 竜はからかうように言って、回りを見渡した。
「見ろ。みんな呆れてるぜ」
 実際みんな二人のやり取りに当てられてか、所在なげにしている。
 涼子も一同を見回して、恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「ごめんなさい。一人で騒いじゃってあたし…」
 しかし明が矛先を向けたのは、当然竜である。
「竜お前、馴れ馴れし過ぎるぞ。だいたいだな、涼子ちゃんの飲んだ缶に直接口をつけるなんて、絶対許せん」
「そういえば、涼子これ飲んだよなぁ。俺も飲んだぞ。全然気づかなかった」
 明に指摘されて、初めてそれに気づいたように竜が言った。ミルクティを指さしながら、分かり切った事を確認なんかしている。
 涼子にしても同じである。言われてハッとしながらも、ウンウンと頷いている。要するに二人にして見れば、その程度の事は意識するまでもない。もうごく自然で、日常的な行為になっていると言う訳なのだ。
「全く、自分の立場をよく考えろよな」
「あら、でもそれはお互い様なんじゃない?どっちかと言えば、涼子さんの方が竜さんにベタベタしてるように思うけど。竜さんばっかり責めたら可哀相よ」
 しのぶが異議を唱える。彼女にしてみれば、明とは反対に、涼子が竜に甘えているのが許せなかった。それでも、やはりはっきりそうとは言えず、やんわりと非難しているのだ。しかし客観的に見れば、しのぶの言い分の方が当たっている。
「でもなぁ。どっちにしても二人を見てると、理美ちゃん思い出すよなぁ」
 気まずくなりそうなムードを気遣うように稔が言った。
「理美ちゃんかぁ。懐かしいな」
 尚人もしみじみとした口調で相槌を打つ。
「そう言えば尚人、結構理美ちゃんに熱上げてたっけ」
「えっ?ま、まぁな。昔の話だ」
「もっとも、竜がいたから全然相手にしてくれなかったみたいだけど」
「なんかしらねぇけど、あのコ竜にベッタリだったからな」
 明も懐かしそうに、話に乗って来た。
 尚人が、竜に話を向ける。
「竜、理美ちゃんに会ってるか?横浜じゃ、なかなか会えんだろ。最近帰ってねぇしな、お互い」
「時々な。理美のヤツ、東京で遊び回って、ひとの部屋ホテル代わりに使ってやがる。独りじゃ寂しいだろうから、泊まりに来てあげたなんて言ってるけどな」
「ねぇ、理美ちゃんてだあれ?」
 話の成り行きに不安になりながらも、黙って傍観していた涼子。しかし、泊まると言う一語にいよいよ不安が募ったようである。たまらず、竜にだけ聞こえるように、小声で聞いた。
「ハハッ、涼子ちゃん心配みたいだな」
 小声でも聞こえたとみえて、稔がからかうように言う。
「えっ?別に、何で?あたしが心配する必要ないわ」
「妹だよ、竜の妹」
「いもうと……」
 しらばっくれてはいたが、妹と聞いてやはりホッとしたようだ。
「あたしを見てると、思い出すの?」
「そう。あのコも、いつも竜にくっついて歩いてたから」
「そうだよなぁ。俺達がコンサート行く時とか、いつもいっしょでさぁ。竜から離れねぇんだ、これがまた」
「俺達のライヴの時も、色々世話焼いてたっけ。あの頃もう中学生だろ?珍しいよな、そんな兄妹」
「明や尚人は高校に入ってからだから知らねぇだろうけど、ガキの頃からずっとなんだ。それこそオムツしながら、竜兄ちゃん、竜兄ちゃんて、俺達が遊んでる後くっついて歩いてさ。カワイかったぜ、頭のてっぺんリボンで結わえて。竜もよく面倒見てたよな。俺達が、邪魔だから帰れって言っても、俺が見てるからいいんだって、理美を仲間外れにするなって言ってさ。お前、よくおんぶして帰ったろ?」
 思い出話をする稔は、どこか嬉しそうだった。
 竜と稔は、幼稚園の頃からの幼なじみである。明と尚人は、高校に入ってから知り合った友達であった。
「そんな事もあったっけ。アイツどこまでもついて来るくせに、結局最後はいつも疲れたってグズるもんだから」
「お前の背中で、気持ち良さそうに眠ってたよな」
「慎崎さんて、優しいんだ」
 涼子に面と向かって褒められて、懐かしそうに話していた竜もちょっと照れる。
「まっ。たった一人の、かわいい妹だからね」
「でも、あたしを見ててそれを思い出すなんて、あたしってそんなに子供かなぁ」
「いや、その頃だけじゃなくて。小学校、中学、高校とずっとそうだったから。歳も同じくらいだろ?だからね、思い出すんだ」
「いもうとか……」
 涼子は誰にも聞こえないように口の中で呟いた。稔の言葉で、子供の方はどうやら解消したみたいだが、妹に見えるって事がまだ不満のようである。
「そろそろ始めようよ」
 話が一段落したところでしのぶが言った。こちらは涼子が妹扱いされた事と、思いがけず竜の子供の頃の話が聞けた事で、大分気持ちが和んだようである。

 ―つづく―

 

 ここまでで、全体のほぼ4分の1を掲載致しました。
 引き続きご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。


nice!(3)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

シング・アット・ザ・ムーン~天使の微笑み~ 8 [連載小説 2]

「さて、俺達も帰るか」
 竜と涼子を乗せたタクシーを見送った後、他の四人も渋谷駅に向かってブラブラと歩き出した。
「しかし竜の奴、いいよなぁ。これから涼子ちゃんをマンションまで送ってくんだぜ」
 明が悔しそうに、しかし羨ましがる。
「しょうがねぇだろ。一人で帰すわけにゃいかねぇんだし」
「そりゃそうだけどよ…まさかアイツ、変な事しねぇだろな」
「何言ってんだ明、竜はそんな奴じゃねぇから大丈夫さ」
 明の余計な心配を、稔が即座に否定した。
 明にしても、本気で竜を疑っている訳ではない。しかしこう言う嫉妬心は、やはりなかなか理性では押さえ切れるものではないらしい。
「でもあの二人、どう思います?」
 しのぶが言った。自分の靴先に視線を向けたその表情は、存外真剣である。
 明が不思議そうな視線を向けた。
「どうって、しのぶ…」
「俺は出来てると思うな」
 稔が言うと、驚いたみんなの視線が、一斉に集中する。
 しかし、しのぶだけはすぐに視線を戻して、
「やっぱりそうか……」
 溜息とともに呟いた。
「なんでだよ稔。お前だってさっき、まるで兄妹みたいだって言ってたじゃねぇか」
 これは明の言。
「そうは言ってない。正確には、涼子ちゃんを見てると、理美ちゃんを思い出すと言ったんだ」
「同じ事じゃねぇか。理美ちゃんは、竜の妹なんだから」
「確かにな。だけどさ、竜と理美ちゃん、兄妹に見えたか?」
「見えたかって…実際二人は兄妹なんだから……」
 明は首を傾げながら、ブツブツ呟いている。稔の言ってる意味が、まったく分からない訳ではない。ただ、あまり認めたくないのだ。
「俺達は知ってるからな、兄妹だって。でも、知らねぇ奴が二人の仲良しぶりを見たら、どう思う?」
恋人同士に見えるな。実際俺なんか、ちょっと嫉妬したくらいだ」
 尚人がいともあっさりと言った。
 明は無言である。
「だろう?その理美ちゃんを思い出すって事は、すなわち竜と涼子ちゃんだって、恋人同士に見えるって事さ」
 稔の口調は淡々としていた。
「お前、よくそんな冷静に話せるな。相羽涼子が、竜のもんになっちまったんだぞ」
「いいじゃねぇか、別に」
 稔の変わりに、尚人が答えた。
「尚人はいいよ。ほんとは杉原夕希のファンなんだからよ」
「それは関係ねぇぞ。俺はただ、素直に喜んでやりゃいいんじゃねぇかって言ってんだ」
 明の無神経な言い方に、普段おおらかに構えている尚人もちょっと気色ばむ。
「まぁ待てよ。俺は何もまだ、出来てるとは言ってねぇぞ」
 険悪なムードになりそうな二人に、言い出しっぺの稔が割って入った。
「確かめたわけじゃねぇし、そう思うって言っただけだ」
「どっちなんだよ、はっきりしねぇなぁ、ったく」
「まっ、どっちにしてもだ。まだ付き合ってないにしても、あの感じじゃ、お互い惹かれ合ってるのは確かだな。潔く諦めろ明。相羽涼子なんて、所詮俺達には高値の花だぜ」
「まぁ、そりゃそうだけどよ…」
 そう言いながらも、明はまだ納得行かないようである。
「あら、でもそれはおかしいわ」
 納得行かないなりに納まりそうだった話を、蒸し返すようにしのぶが言った。
 みんなの視線が集まる。
「だってそうでしょ?今話してる涼子さんの相手って、竜さんなのよ。これが有名な芸能人なら分かるけど。別に竜さんがダメだって言ってるんじゃないの。彼だって今や、結構注目されてるしね。でも、元々私達の仲間だったのよ。いえ今だってそうだわ。て事は、稔さんだって尚人さんだって、もちろん当然明さんにだってチャンスはあるわけでしょ?
現にもう涼子さんとは友達と言ってもいいわけだし。もし竜さんが涼子さんをカノジョにするんだったら、決して明さん達にとっても高値の花じゃないって事だわ」
 しのぶは長々とまくし立てた。みんなの視線を感じて、自分でも何でこんなに真剣になるんだろうと思うと、ちょっと恥ずかしくなる。
「そうだぞ。しのぶのいう通りだ。相手が竜となりゃ、俺達だって高値の花じゃない」
「まぁ、そうカッカするな、明。まだ二人が付き合ってるって決まったわけじゃねぇんだから、なぁ稔」
 尚人の言葉に、しかし稔は答えなかった。真剣な面持ちで一気にまくし立てた時の、しのぶの思い詰めたような眼差しが気になっていたのだ。
「しのぶ、お前……」
 そこまで言いかけてやめにした。わざと視線を逸らすようにしているしのぶに、言える訳がない。
(もしかして竜の事…好きなのか?)
 代わりに稔は、心の中で呟いた。

「ねぇ、ちょっと竜。シャンプーがないわよぉ」
 竜のボロアパート。浴室から声が飛んで来た。歌織である。
 この夜、シャドウ・ムーンのライヴに遊びに来ていた彼女は、いつもの調子で泊まりに来たのだった。
ハイハイ、お嬢様」
 ふざけて言いながら、竜は買い置きのシャンプーを手に取る。するといきなり、声も掛けずに浴室の引き戸を開けた。
「キャッ!」
 シャワーを浴びていた歌織が、びっくりして可愛い悲鳴を上げる。慌てて手近にあったタオルで前を隠した。
「ちょ、ちょっと。いきなり開けないでよ、スケベ!」
 プーッとふくれて非難するが、
「シャンプー持って来てやったんだよ」
 竜は全く意に介さない。
「もう、非常識な奴……ところで竜。今見えた?」
「今更俺に見られたからって、どうって事ねぇだろ。減るもんじゃなし。ほらよ」
 言いながら、竜がいきなりシャンプーを放り投げた。
「おぅっとっと」
 反射的に、歌織が両手でそれを受け取る。同時にタオルが手から滑り落ち、普通の男なら卒倒しかねないような、見事に均整の取れた肢体をさらけ出してしまった。
 竜は彼女のオールヌードをしっかりと脳裏に焼き付けはしたが、別に興奮するでもなく、
「はいごちそうさん」
 平然と言い放つと、浴室のドアをピシャリと閉めた。
「あーん、竜に裸見られたぁ。お嫁に行けなくなっちゃうよぅ」
 歌織の嘆きがドア越しに聞こえる。
 しかし竜は無視して部屋へ戻ると、ギターを取り上げた。気怠げにベッドに腰を下ろす。
 三十分もギターに指を走らせていただろうか。やっと歌織が浴室から出て来た。
 バスタオルで髪の毛を拭きながら、そのまま冷蔵庫に直行する。缶ビールを一本取り出してプルタブを抜くと、それを飲みながら部屋へ入って来た。
 大きなイチゴ模様のパジャマをルーズに着て、何とも可愛らしい。が、何せブラジャーをつけてない。ツンと迫り出した胸のトップが透けて見える。さっきは竜に裸を見られてあんなに悲嘆していたのに、全然気にしていないようだ。
「お前なァ。そのイチゴ模様、なんとかならんのか?いい歳して、まったく」
 竜も同様で、非難したのはパジャマの柄のほうだった。
「あーらなによ。カワユクてよいでしょうが。気に入ってんのよ、あたしは」
 そんな事を言いながら、歌織は腰に手を当てて、ポーズなんぞを決めている。
「自分で気に入ってねぇで。気に入ってくれる男を探した方がいいな、歌織の場合」
「うるさい!大きなお世話よ…それより、ドライヤー借りるわよ」
 話が妙な方向に行きそうなのを感じてか、歌織が慌てて話題を逸らした。
 タンスの上から、勝手にドライヤーと小さな卓上型の鏡をもって来ると、
「竜、いい加減ドレッサー買いなって言ってるじゃない」
 言いながら、レイヤーカットのロングヘアを乾かし始める。ブラシだけは、ちゃっかり自分専用の物を用意していた。
「俺は別にそれで間に合ってるぞ」
「あんたはいいかも知れないけど、あたしはヒジョーに不便なのよ。鏡がちっちゃくてさ」
「なんでお前の為に俺が、ドレッサーなんぞ買わにゃならんのだ」
「あれあれ?あたしの為だけじゃないでしょうが。あっちの女、こっちの女、そっちの女、どっちの女?いっぱい泊まりに来るくせして、このスケベ」
 歌織があっちこっち指さしながら、冷やかすように言う。
「何を言いやがる。みんな歌織みたいに文句言わねぇよ」
「そう言えば竜。あんたこの頃、ご無沙汰だって言うじゃない。こないだマミがこぼしてたよ、『竜の奴、最近付き合い悪い』って」
 事実その通りだった。涼子と仕事をするようになってから、竜は他の女の子の相手をする気になれなくなっていたのだ。元々儀礼的に付き合っていた部分もあったのだが、涼子の出現によって、他のコにはもはや何の興味もなくなっていた。
 しかし、今はその話をしたくない。
「さぁて、俺もフロでも入ってくっかな」
 今度は竜が話題を逸らして、早々に浴室へ逃げ込む事にする。
 暫くして、歌織のレイヤーヘアもやっと美しく整った頃、電話のベルがなった。
「はいはいはい」
 言いながら立って行って、受話器を取る。
「もしもし」
 呑気な声で告げたが、電話の向こうで一瞬息を呑む気配がしただけで、応答がない。
「もしもぉし、どなたですかぁ?」
 更に歌織が言うと、
「あ、あの、慎崎さんのお宅じゃありませんか?」
 可愛らしい女性の声で、怖ず怖ずと応答が返って来た。涼子である。
「そうですけど」
 相変わらず呑気な声の歌織。
「あの、竜さんはいませんか?」
「竜なら今おフロに入ってるけど。どちら様?」
「えっ?それならいいです。すいません」
 言ったが早いか、それっきり電話は切れてしまった。
「なんだ?変なの」
 歌織がブツブツ言っているところへ、ちょうど竜が風呂から上がって出て来た。
「電話か?誰からだ?」
「知らない。竜はおフロに入ってるって言ったら、名前も言わずに切っちゃったわ」
「そうか」
「女だったよ、このぉ。でもあの声、どっかで聞いた事があるような、ないような」
 その言葉を聞いて、即座に竜が思い浮かべたのは涼子の顔。大して用もないのに、時々電話をかけて来るのだ。しかしそれ以上深く考えるのはやめにした。どうせ明日、仕事で会うのだ。それに、他の女の子かも知れない。
 竜は歌織が放り出しておいたドライヤーを取り上げて、髪の毛を乾かし始めた。

 ―つづく―


nice!(3)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

シング・アット・ザ・ムーン~天使の微笑み~ 9 [連載小説 2]

「ふぅーっ」
 涼子はJテレビの控え室に入ってから、何度目かの溜息をついた。
「どうしたんだい?さっきから溜息ばっかりついてるけど」
 海老根が心配そうに声をかけても、ただおざなりな微笑を返すだけである。
 今日は来年の正月に放送される、特別番組の録画取りがあるのだ。
 予定の時刻にはまだかなりあるが、少しでも早く竜に逢いたかった。
 夕べ電話に出た女性が、気にかかって仕方がないのだ。電話を切った後も、あれこれ考えているうちに彼への想いで頭の中が一杯になり、なかなか寝付く事が出来なかった。
 直接逢って確かめてみたかったが、当然控え室は別である。しかも、そんなに早く来ているとは限らない。
 結局涼子は、何となくモヤモヤした気持ちを払拭する事が出来ず、さっきから溜息ばかりついているのだった。もはや竜を愛していると、自分でもはっきり分かっていた。
「海老根さん。もう慎崎さん来てるかな?ちょっと呼んで来てくれない?」
 もうこれ以上我慢出来ない。涼子は、少し離れたところでスケジュール帳とにらめっこしている海老根に言った。
「分かった。じゃ、ちょっと行って見て来るよ」
 海老根が即座に立ち上がる。今見ていたページに指を挟みながら、控え室を出て行った。
 所在なげに待っていると、暫くしてノックの音がする。入って来たのは竜一人だけ。
「何か用か?」
「あれ海老根さんは?」
「うん。何だが、何も食ってないから、今のうちに軽く食事して来るとか言ってたぜ。多分、下の喫茶店か食堂じゃないの」
(海老根さん、気を利かしてくれたのかしら)
 涼子は心の中で呟いた。
 第三者がいては、なかなか切り出しにくい話である。そばにいる時間が一番多いので、その気持ちにも薄々気が付いているのだろう。海老根の心遣いが嬉しかった。
「どうしたんだ?何か話でもあるんじゃないのか?」
 再び竜に問われたが、涼子はまだためらっている。どう話したらいいのか分からなかった。しかしあまり時間はないのだ。じきに他のスタッフもやって来るだろう。あれこれ考えて逡巡しているうちに、
「そう言えば涼子、ゆうべ電話したか?」
 思いがけず、その話題が竜の口から上った。
 それをきっかけに、今まで心の中でモヤモヤとわだかまっていた不安を口にする。
「きのう電話に出た女の人、あれ慎崎さんの彼女?」
「えっ?あぁ、あれ。別にそんなんじゃないよ」
 涼子は内心ホッとしながらも、それだけじゃやっぱり納得出来ない。
「でも、ずいぶん親しそうだったじゃない?」
「そうか?…でも、なんでそんな事聞くんだ?」
 そこまでは考えていなかった。
「えっ?あのそれはやっぱり…慎崎さんて、モテるんだろうなぁって思って」
 涼子は慌てながら、適当にごまかしの言葉を口にする。
「そりゃバンドなんかやってれば、俺達にだってファンの女の子くらいつくさ」
 竜は竜で、歌織との仲を説明するのが面倒臭くて、ファンの女の子だと言う事にした。
「ファンが泊まりに来ちゃうわけ?」
「ファンて言ったって、涼子なんかのファンとはわけが違うぜ。俺達のはもっと距離が近いと言うか、仲間みたいなもんだから」
「ふうぅん」
 分かったような分からないような、そんな意味ありげな言い方をする涼子に、
「別にきのうのコに限らず、みんな世話を焼きたがるんだ。色々とね」
 竜も負けずに、意味ありげな言葉を返す。
「色々って?」
「色々は、色々だよ」
セックスもだって言いたいんでしょ?」
 持って回った言い方にジリジリして、涼子の方でハッキリとその言葉を口にした。
 竜は驚いて、思わず彼女の顔を見る。そんな言葉をズバリ言うなんて、思ってもいなかったのだ。
「そんなにびっくりしないで。あたしだってもう子供じゃないんだから、それくらいの事は分かるわよ」
「そりゃそうだよな。アイドルだって言ったって、私生活はあるもんな」
 下卑た言い方にカチンと来たが、涼子は敢えてその言葉を無視する。
「慎崎さんて、愛してもいない人と平気でそんな事出来るんだ?」
「別に、無理やり力づくでってわけじゃないぜ。お互い、合意の上だからな」
 そう言いながら竜は、前にも同じような事を言ったのを思い出した。
「合意の上なら構わないの?あたしには理解出来ない…セックスって、愛し合ってるから自然にそうなるものでしょ?」
 そんな優等生ぶった言葉に、まるでお手上げだとでも言うように、竜が軽く溜息をつく。
「別に理解してくれなくたっていいさ。俺達の繋がりなんて、どうせ君には分からない」
「分かりたくもないわ。サイテイ…あなたの彼女って、可哀相よね」
 涼子は自分でも訳が分からずイライラして来た。思いを寄せている男が、平気で何人もの女と寝ているのが許せないのだが、それを認めたくない。
「彼女なんて呼べる女はいないからな」
「それは幸いだわ。慎崎さんみたいな男は、恋人なんか作んない方がいいわね」
「大きなお世話だ。だいたい、さっきからなんだかんだとうるせぇんだよ。そんな事言う為に俺を呼んだのか?」
 お説教じみた涼子の話し方に、竜もいい加減腹が立って来た。そう言えば、しのぶともこんな話をしたのだ。しかし、涼子の方が言う事がきつい。
「別にそうじゃないけど…」
 竜の怒気を表した言い方に、涼子はちょっと口ごもる。
「まったく。俺が何をしようと、君にどうこう言われる筋合いじゃない…それに言っとくがな。それほど大切な人が出来たら、俺だって他の女を抱いたりしねぇよ」
「信じられない…」
 涼子のひとを見下すような態度に、竜の我慢もとうとう限界に来た。
「お前なんかに信じて貰う必要はねぇけどな…」
 そう言うと、いきなり腕をグイッと掴んで引き寄せる。
「キャッ!」
 突然抱き寄せられて、涼子はびっくりして短い悲鳴を上げた。
「何するの、離してッ!」
 脅えたような眼を向けながら抵抗するが、竜はその腰にしっかりと腕を回して、離そうとしない。
「信用出来ない男と二人っきりになるもんじゃないぜ。お前に言わせりゃ、俺なんかケダモノみたいだからな」
 竜は冷たい視線をくれながら、腰に回した腕にいよいよ力を込める。
 涼子の華奢な身体が弓なりに反り返った。その息がかかりそうなほど彼の顔が眼の前に来て、顔を背ける事も出来ない。
「いや、やめて…」
 先ほどまでの勢いはどこへやら。脅え切って、微かに震えている。
「怖いか?」
 竜は以外なほど優しい声で言うと、素早く涼子の唇を奪った。
「んっ……」
 涼子は声にならない声を発した。何とか逃れようとするが、竜にしっかり抱き締められ、頭を押さえ付けられているので、どうする事も出来ない。胸がドキドキして、そのうち身体の中がカッカと燃えるように熱くなって来る。頭がボーッとして来て、涼子は思わず抵抗する力を緩めて、竜に身を任せてしまった。
 竜はなすがままの無抵抗になった涼子を、更に力を込めて抱き締め、まるで愛しい恋人にするように唇を重ね続けた。
「…………」
 眼眩くような長いキスから解放されても、涼子はまだ頭がクラクラしている。放心状態のまま何も言えず、立っているのがやっとだった。
 竜はそんな彼女をもう一度軽く抱き寄せ、
「さっき言った事、あれはウソじゃない。だって涼子のバンドに入ってから、一度も女の子を抱いてないんだから…昨日だって何もなかったんだ。信じて貰えないかも知れないけど…」
 耳元で優しく囁くと、後は振り返りもせず控え室から出て行った。
 涼子は、バカみたいに突っ立ったままでいる。彼が出て行くドアの閉まる音を、どこか遠いところで聞いていた。
(こんなのってない…こんな形のファーストキスなんて。もっとロマンチックに思ってたのに。無理やり奪われるなんて…それもあたしの事、愛してもいない男なんかに)
 そして、そんな男を密かに思っている自分が何だか悲しくなって、自然と涙が込み上げて来る。
(あたしがこんなに思ってるのに、アイツ全然気づいてない。それなのに、無理やり唇奪っといてさっさと出てっちゃうなんて…………でも、そう言えば最後にカッコつけてなんか言ってたわ)
 涼子はボーッとしてよく聞いていなかったが、
(確か、さっき言った事はウソじゃないとか…あたしのバンドに入ってからは、女の子を抱いてないって…あたしのバンドに入ってから?だって大事な人が出来たら、他の女の人は抱かないって事でしょ?大切な人…それってもしかして、あたしの事?…あたしの事、好きだって言ってるのかしら)
 そこまで考えて、やっと竜の遠回しな愛情表現に気づいたようだ。嬉しいような、恥ずかしいような、そんな変な気持ちになって、涼子は独りポッと顔を赤らめた。

「よう姫、竜とケンカでもしたのか?なんか今日はおかしいぜ。妙によそよそしくって、どうもぎこちなかったぞ」
 番組の収録も無事終わって、控え室に戻ろうとした涼子を、河野が呼び止めた。
「なぁ竜、どうなんだ?」
 二人の横を、素知らぬ振りで通り過ぎようとした竜にも声をかける。
「別に…ケンカなんてしてないよ。ねぇ慎崎さん」
「あぁ」
 涼子に同意を求められて、竜は素っ気なく頷いた。
「ならいいけどさ…姫、あんまり我がまま言って竜を困らせるなよ。余計なお世話かも知らんけど、竜に辞められて困るのは姫だからな」
「分かってる。だいじょぶよね、慎崎さん」
「あぁ」
 再び同意を求められて、再び素っ気ない返事をする。
「そうか。竜も、姫の事よろしく頼むぜ。なんせ、お前によくなついているみたいだから」
 河野は明るく笑いながら、そう言い残して行ってしまった。どうやら、完全に涼子を子供扱いしているようだ。
 後に二人だけで残されて、またぎこちない空気が広がり始める。
 涼子は非難するような一瞥をくれてから、控え室に戻ろうと背を向けた。その後ろ姿に、
「涼子……」
 竜が思い詰めたように声をかける。
 涼子が無言で立ち止まった。
「あさって休みだったよな。ちょっと付き合ってくれないか?」
 あんな事をした以上、このままうやむやにしておく訳には行かない。自分の気持ちにケリをつける為にも、思い切って誘ったのだ。断られれば、彼女の事はきっぱりと諦めるつもりでいた。
「でも、学校があるもん」
 涼子は振り向きもしない。言い方も素っ気なかった。
 しかし、竜だってここで引き下がる訳には行かない。
「だけど、終わるのも早かったよな」
 涼子の前に回り込みながら、真剣な面持ちである。
「どこ行くの?」
「どこでもいいんだ。涼子の好きなとこ行くよ。二人でドライブしよう」
「だって、車なんてないじゃない」
「うん。時々、黒川楽器社長に借りてるのがあるんだ。大した車じゃないけど」
「車で?二人だけで行くの?」
 そう言いながら、涼子が探るような視線を向ける。
「えっ?う、うん。もちろん、変な事しないよ…信じてくれないかもしれないけど」
「…………」
 あくまで真剣な竜に、涼子は相変わらず疑うような上眼使いで、黙ったままじっと見返している。
 その視線を受け止め切れなくなって、
「どうしてもダメならしょうがない。潔く諦めるよ」
 竜はそっと眼を逸らしながら言った。しかし、最後の諦めると言う言葉に、彼の本音がチラッと覗いた。
 更に暫く無言でいた後、涼子が冷めた口調で言う。
「…………いいわ、付き合ってあげる」
 それでも竜は、内心ホッと胸を撫で下ろした。これでまだ希望はある。
「良かった。それじゃ、マンションまで迎えに行くよ。何時がいい?」
「そうね。マンションまで帰るの、めんど臭いから、事務所で待ち合わせしましょ。学校からだとずっと近いの。多分、二時には行けると思うけど」
「分かった。それじゃ二時に、事務所で待ってるよ」
 嬉しそうな竜に、
「うん。それじゃあたし用があるから、これで行くわね」
 涼子はわざと素っ気なく、突き放すように言ってその場を後にする。が、
「やったぁ」
 控え室に戻った途端、それまで押さえていた嬉しさが一気に爆発した。
 竜の誘いの言葉を聞いた時、本当はすぐにでもOKしたかったのだ。しかし、そこは涼子も女である。いきなりキスを奪うなんて失礼な真似をされたのだ。すぐにハイハイなんて、シッポを振って誘いに乗るほどバカじゃない。それにプライドだってある。それでも、
「だいじょぶかなぁ」
 同時にまた、ちょっぴり不安にもなった。
「ちょっと冷たくし過ぎちゃったかなぁ。嫌いにならなきゃいいけど…」
 それもまた乙女心と言ったところか…………。

 ―つづく―


nice!(3)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

シング・アット・ザ・ムーン~天使の微笑み~ 10 [連載小説 2]

「しかしなぁ。いくらなんでも、この車じゃマズイよなぁ」
 野木プロの事務所へ向かって車を走らせながら、竜は独り呟いた。
『この車』
 国産のジープである。ディーゼルエンジンは盛大な唸りを上げているし、キャンパストップの継ぎ目からは隙間風がビュービュー吹き込んで、車内はとにかく騒がしい。まぁ、暖房は一応効いているので、寒くないだけまだましではあるが。
「涼子のヤツ、『こんな車じゃ乗らない』なんて言うかもなぁ」
 確かに、女の子をナビシートに乗せて決まるような車では、間違ってもない。ましてや、相羽涼子のイメージとは、行って来るくらいの違い、違和感である。
 夏場でもあればフルオープンにして、更にフロントウィンドウまで倒してしまえばそれなりに決まるのだが、今は十二月。まさか可愛い涼子を、寒風にさらしておく訳にも行かない。キャンパス、と言うより幌を掛けたところは、まさしく軍用車両である。
「まぁ、しょうがねぇよな。いつも借りてんのがこいつなんだから。今日に限って『ベンツ貸して下さい』なんて言えねぇし。第一、俺はこいつが気に入ってんだから」
 竜は、無理やり自分を納得させた。それでも一抹の不安を感じながら、野木プロの駐車場にジープを乗り入れる。
 ベンツだの、BMWだの、ポルシェだの。まるで高級外車の展示場のようである。
 そんな中をぬって、一番隅の目立たないスペースにジープを滑り込ませ、エンジンを切る。一瞬車体をブルッと震わせてから、愛すべきこの相棒は大人しくなった。
 別に卑下してこんなところに停めた訳ではない。何しろ涼子と二人だけで出かけるのだ。なるべく眼に付かないようにと言う、彼女に対するそれなりの配慮だった。
「一時半か、まだ早いな」
 竜は時計を確認してから裏の階段を上り、二階の通用口から事務所へ入った。部屋の片隅においてある安っぽいソファに腰を下ろして、涼子を待つ事にする。
「あれ?慎崎君。そんなとこで何やってんの?」
 ラークに火を点けて、一息吸い込んだところだった竜。なるべく目立たないようにしていただけに、いきなり声をかけられて思わず咳き込んだ。
「何慌ててんのよ」
 呆れたように言う声の主を見ると、田中真弓だった。もちろん野木プロの社員で、確か竜より幾つか年上のはずだが、なぜか涼子と仲が良い。
「えっ?何って別に。ただ、ちょっと暇だから……」
「へぇーっ。慎崎君て暇だと、わざわざ事務所までタバコ吸いに来るわけ?そりゃよっぽど暇なんだわ」
 竜の苦しい言い訳に、真弓はニヤニヤ笑いながら、からかうように言った。どうやら本当の事を知っているようである。
「ホントはさ。涼子ちゃんとデートなんでしょ、このぅ」
「えっ?べ、別に。そんなわけないでしょ」
「隠すな隠すな。涼子ちゃんに聞いたんだから」
「涼子に?」
 竜は驚くとともに、いささか呆れた。
(ヒトがなるべく目立たないように気を遣ってやってるのに、涼子のヤツ)
「嬉しそうだったよ、きのう事務所によった時。どうしたの?って聞いたらさぁ、『明日、慎崎さんとデートなの』って。ナイショナイショって言いながら、そのくせみんなに言って回りたそうだった」
「…………」
 竜は複雑な心境だった。おとといの素っ気ない態度と違って、嬉しそうにしていたと言う事は、かなり脈ありと考えていい。しかし真弓に今日の事を喋ってしまったのでは、人眼に付かないように気を配っている自分が、まるで馬鹿みたいではないか。
 竜が黙っているので、涼子のお喋りを怒っていると思ったのだろう。真弓がフォローを始める。
「慎崎くん、早いとこ涼子ちゃんに告白してあげなさいよ。彼女ずっと気を揉んでたんだから。『慎崎さん、あたしの事どう思ってんだろう』って。あたしが『自分から告白しちゃえば』って言っても、『女のあたしからそんな事言えないよ』って。彼女あれで案外古風なのね。待ってるのよねぇ、待ち焦がれてんのよ。だからきのうだってあんなに嬉しそうだったんだわ。慎崎君、そんな純真な乙女心を弄ぶなんて、罪だわねぇ」
 真弓の長演説を聞きながら、涼子の気持ちがだんだん分かって来て、竜は満更でもなさそうである。ただ、最後の一節だけはさすがに同意しかねた。
「誰も涼子を弄んだりしちゃいないぞ、人聞きの悪い」
 抗議しながら、
(確かに、いきなりキスはしたけど)
 心の中で付け足した。
「あら。彼女を夢中にさせといて焦らしてるんだから、同じ事じゃない」
「別に焦らしてるわけじゃない。俺だってただ、なかなか言いだせないだけで…」
 そこまで言って、竜はハッとして言葉を切った。見事に真弓の誘導尋問に引っ掛かった格好である。
「やっぱり涼子ちゃんが好きなんだ。だったらさっさとものにしちゃえば?もっとも今日のデートでそのつもりなんでしょうけど」
 真弓が勝ち誇ったように言った時、
「おはようございまぁす」
 正面入り口の方から、涼子の元気な声が飛んで来た。
「ほらほら、噂をすればだわ。まっ、せいぜい頑張ってね」
 真弓はそう言うと、これを潮時とばかりに自分の席に戻って行った。
「あっ、真弓さんおはようございます」
 何も知らない涼子は、そんな彼女にも挨拶している。どこまでも明るい。
「ヤッホー慎崎さん、待ったァ?」
 やがて竜の姿を見つけると、手を振りながら小走りにやって来る。サックスブルーのブレザーにスカート。制服を着てお下げ髪にしている姿は、全く普通の高校生だ。
「よう高校生」
 涼子のいつもと変わらない親しげな態度に安心して、竜はからかい半分に言った。
「どうだ?制服姿見て、ムラムラしてるでしょ」
 涼子も負けずにやり返す。
「バァカ、俺はまだそんなオッサンじゃねぇぞ。それよりさぁ、お前よくそんなにあけっぴろげに入って来るよなあ。俺なんかなるべく目立たないようにって、気遣ってやってんのにさ」
「あら、なんでそんなにコソコソしなきゃなんないの?別に慎崎さんと付き合ってるわけでもないのに」
 涼子はまるで当てこするように言った。
「そりゃそうだけど。色々マスコミがうるさいだろうと思ってさ。いくら事務所内と言っても、どこから漏れるか分かんないだろ?これでも一応心配してんだぜ、涼子の事」
「ごめんなさい。以後気をつけるワ」
 今度は素直に謝っておいて、
「それじゃ着替えて来るから、ちょっと待っててね」
 涼子は更衣室へ消えて行った。
(やれやれ、大分かかるんだろうな)
 そう思いながら、竜はソファにもたれて待つ事にした。再びラークに火を点ける。
「お待ちどおさまぁ」
 思いの外早く、涼子は十分ほどで更衣室から出て来た。
(おっと、ずいぶん早いな)
 そう思いながら立ち上がった竜は、涼子のあまりの可愛らしさについ見とれてしまった。
 黄色いハイネックのセーターにチェックのショートタイトスカート。セーターの上には、ベロア地の白いハーフコートをゆったりと重ねていた。お下げを解いて肩から背中まで垂らした栗色のストレートへアの上には、ハーフコートとお揃いのベレーがチョコンと乗っている。足元に眼を移せば、ブラウンヌバックのロングブーツで決めていた。
 さり気ないカジュアルではあるが、着る人が着ればバッチリ決まるのだ。
 更にうっすらと控えめな化粧が、きめの細やかな白い肌を一層引き立てて、この上もなく美しく、また愛らしかった。
「どうしたの?」
 竜がボーッと見とれているので、涼子が不思議そうに首を傾げる。
 その仕草がまた可愛くて、抱き締めたい衝動を必死に理性で押さえ込みながら、
「い、いや、すごく可愛いから。思わず見とれちまった」
 それでも竜は、思っている事を正直に告げずにはいられなかった。
「ウフ、アリガト…」
 涼子がはにかんだように俯く。
「それに引き換え、俺なんかいつもこのカッコだ、何か代わり映えしねぇよなぁ」
「そんな事ないよ。カッコいいもん。決まってる、決まってる」
 タイトスリムのジーンズに、Tシャツのうえに無造作に羽織ったレザージャケット。これが竜のお決まりのスタイルだった。しかも一年中ほとんど変わらない。
 もちろん一着しかない訳ではない。ただそのスタイルだけ、つまりワンパターンなのだ。
 しかし背が高く足も長いので、そのスタイルが実に格好良く決まっていた。
「そうか?でもなんか二人、アンバランスじゃねぇか?」
 普段いっしょにいても、そんな事には全く無頓着だった竜が、今日に限って妙に気にしている。やはり、その天使を手に入れようとしているからだろうか。
「そんな事ないってば。似合ってるよ、ねぇ真弓さん」
 涼子は竜に腕を絡ませ、その肩に頭をもたせ掛けながら真弓に同意を求めた。
「いよっ、お似合いだよお二人さん。ヒューヒュー」
 真弓が冷やかすように合いの手を入れる。
「ほらね」
 実際、身長的なバランスを含めたルックスから言えば、憎らしいほどの理想的なカップルである。
「さぁ、いこいこ。遅くなっちゃうよ」
 竜を促しながら、涼子が通用口のドアを開けようとしたその刹那。
 丁度ドアを開けて、一人の派手な格好をした女性が入って来た。
「あら涼子ちゃん、お久しぶり」
 竜に流し眼をくれながら挨拶する。
「ど、どうもおはようございます」
 涼子も挨拶を返すが、相手は全く聞いていない。竜の方に色っぽい視線を投げながら、
「こちらが例の、評判のギタリスト君ね。あたしに紹介して下さらない?」
 そんな事をのたまっている。
「はい…こちら、わたしのバンドのギタリストの慎崎竜さん。そしてこちらが…」
「雨宮マリ、ご存じでしょ?よろしく」
 涼子の言葉を遮り、勝手に自己紹介しながら、マリが手を差し出した。
「どうも……」
 何が何だか訳が分からず、竜は取り合えず差し出された手を握り返した。
「へぇ、なかなかカワイイじゃない。今日暇?これからあたしと飲みに行かない?飲めるんでしょ」
 マリはすっかり自分のペースで、勝手に話を進めて行く。
「あのぉ…マリさん」
「あら涼子ちゃん、ごめんなさい。もう既にあなたと出来てるんだ?」
「ち、違います そんなんじゃありません」
 当たり前のようなマリの態度に、涼子は慌てて否定した。
「そう。ならあたしが誘ったって構わないわけね。どう?飲みに行かない?その後で、たっぷりカワイがってあげるワよ」
 それを聞いて、びっくりした涼子が眼を吊り上げる。
『冗談じゃないワ。慎崎さんは、これからあたしとデートなんですから』
 と言おうとしたところを、竜に止められた。
「せっかくですけど。これから涼子、レコーディングなんですよ。俺、送ってかなきゃならないんだ。な、涼子」
「そ、そうなんです。マリさんごめんなさい」
 同意を求められ、涼子も慌てて話を合わせる。
「そう。それは残念ね。それじゃまた今度ね」
 マリはさしてがっかりした様子もなく、あっさりと諦めた。
「それじゃ急ぎますので」
 涼子は引きつった笑みを浮かべつつ、竜を引っ張りながら急いで外へ出る。
「あーっ、びっくりした。一時はどうなるかと思ったわ」
 階段を下り切ったところで、大きく息をついた。
「ところでさぁ、涼子。雨宮マリさんて言ったっけ。あの人、どういう人なんだ?」
「えっ?慎崎さん、知らなかったの?マリさんを」
 竜のかました大ボケに、涼子は思わずズッコケた。
「俺、あんまりテレビ見ねぇから」
「まったくもう、しょうがないわね」
 などと言いながらも、竜が全然マリに興味を示していないと分かって、涼子はちょっぴり安心する。
「五、六年前までアイドルとして凄い人気だったじゃない。今は女優さんしてるけど」
「そうか、女優なのか…森屋佐紀子なら知ってるんだけどな」
「佐紀子さんは大女優で、有名だもんね」
 雨宮マリに関して、涼子の言った通りではあるが、もう少し補足しておこう。
 マリは十年ほど前に、アイドル歌手としてデビューした。その後瞬く間に人気者になり、出す曲がことごとくヒットチャートの一位を飾っていた。しかしアイドルの命なんて短いものである。大して歌唱力もなかった彼女は、二、三年で飽きられてしまった。丁度その頃発覚した男性問題のスキャンダルも手伝って、後はお決まりのコース。一年位前にヌード写真集を出してちょっと話題になった。今は女優と言っても、脇役として時々テレビドラマに出ている程度である。
「ところで涼子。お前、腹減ってるだろ?」
「うん、何も食べていないから、少しね」
「出かける前に、何か食ってくか?」
「そうね。じゃ、アルヘイムにしよう。あそこならお馴染みだから、二人で行っても不思議じゃないもんね。慎崎さんも、それなら心配ないでしょ」
「バカヤロ。俺はお前を心配してんだぞ。何なら、渋谷のど真ん中で二人して弁当広げたって、俺は構わねぇんだ」
 憤慨する竜の背中を押しながら、
「ハイハイ分かりました。感謝してますってば」
 涼子は野木プロの向かいにある、馴染みの喫茶店に向かった。

 ―つづく―


nice!(3)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:
前の10件 | - 連載小説 2 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。